2012年3月26日月曜日

「うつ」−自分にうそがつけない人たち  臨床心理士会退会


この記事は2009年4月2日にアップしましたが、私にとって非常に重要な事柄について述べております。
そこで、事実関係や私の内面的な経緯、心情について、より正確な表現を期すために、今後も時々細部に手を加えていくことになろうかと思います。
とくに、すでにコメントを下さった方々に、ご容赦の程をお願いいたします。

唐突ではあるが、重要な発表をせねばならない。
実は2009年3月31日の日付で、臨床心理士資格認定協会に資格失効の願いを提出し、資格証明書を返却した。
つまり、この4月1日をもって、私は臨床心理士ではなくなったのである。
もちろん、開業カウンセラーとしての活動は、今後も一切変わることなく続けていく。

このことは、事前に、家内や身内の他には、一部説明の必要だったクライアントの方々とごく少数の親しい友人にしか公表しなかったが、私自身の胸の内では、少なくとも2年前には確定していたことである。
さらに言えば、その心積もりは、はじめからカウンセリングルーム開業とセットになっていたと言ってよい。

出身大学院の教授や仲間、あるいはかつての職場の同僚でこの記事を読まれた方は、さぞかし驚かれることと思う。
非常に気の重い点だが、中には、エキセントリックな行動だと思う人も多いことだろう。
しかし、もちろん気がふれた訳でもなければ、理想に取り憑かれて無謀な行動に走ってしまったつもりもない。

言うまでもなく、臨床心理士という資格はあって邪魔になるものではない。
それどころか、この資格を得るにはそれなりの年月や労力や費用、何よりもそのためには「カウンセラーになる」という明確な意志を必要とするだけに、少なくとも社会的に見る限り、やはり価値のある資格とされることは重々承知している。
実際に、私自身これまで多くの臨床機関での勤務を経験してきたが、臨床心理士という資格があったからこそ雇用してもらったのだし、臨床経験と実績を積むこともできたのである。

ただ、私にとってこの資格を継続して持ち続けるには、あまりにも抵抗が強すぎた。

退会を決意するにいたった理由については、単純に語れない部分が大きいので、おいおいブログで書いていくことになると思うが、現段階で少しは述べておかなくてはならないだろう。
さしあたっての理由は、理念よりもむしろ実状によるところが大きい。

臨床心理士の資格は、5年ごとに更新される。
で、更新までの間に、資格認定協会から指定されている研修会あるいは学会に、6〜8回程度出席して所定のポイントを獲得、累積させなくてはならない。
つまり、研修会・学会には、平均して年間に1〜2回出れば済むことではある。
しかし私の場合、この年間たった1〜2回の研修会・学会出席を、まずはどうしても生理的に受けつけなくなってしまったのである。

では、研修会・学会のどういった点を生理的に受けつけなくなったのか。
正直、この内容がすらすらと言葉になりにくい。
おそらくは、その場における矛盾が単純ではなく、十重二十重に絡み合っているからだと思う。

矛盾の一例として、このブログでずっと述べ続けてきたように、ほとんどのカウンセラーは、クライアントをはなから劣等者・歪みのある者、カウンセラー自身を優越者と決め付けていると言わざるを得ない。

しかし、症状の発症とは、ある意味人が生きたものである証と言ってもよい現象であり、一概に病者が異常・劣等と、単純に決めつけるわけにはいかない。
歪んだ場の中では、むしろ歪みのない者が発症せざるを得ないことが多々あるのである。
こういった視点は、少なくとも専門家である以上、常に意識していなくてはならないのはあまりに当然であり、多くの専門書にも記されていることである。

だが、実情はあまりにかけ離れている。

あらゆる学会・研修会の発表において、この視点はまったく意識されておらず、フロアからこのことを訴えたとしても、まず90パーセントの確率でその意見は無視される。
発表者からも他の参加者からも、まるで不思議な生き物を見るような目を向けられ、きょとんとされた後、「さて、それでは……」と別の話題に移られるのがオチである。
ただし、それを業界内の有名人が言った場合だけは別だが。
この傾向は、関東の方がより徹底しているように感じる。

その場にいると、こういったことに何の矛盾も感じない参加者たちに対して、心理療法とはクライアントをお仕着せの「正常」という枠に無理やり押し込め、ロボット化させることなのかと、声を荒げたい衝動に駆られる。
私や私の家内は、こうしたとき、握り締めた拳と食いしばった歯を終始緩めることができない。
さらには、心の深い部分が傷つくらしく、研修会参加から少なくとも1〜2週間は、崩れた体調が元に戻らないのが常だった。


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そうした、いわゆる専門家同士のやり取りのひどさは、もはや「無意味」という言葉では表現しきれなかった。明らかに「人としてやってはいけないこと」としか思えなかったのである。
それでも私は10年以上、文字通り歯を食いしばってこういった研究者としての生活を続けたが、とうとう抗えない強さで拒絶反応が出始めた。
4年ほど前から、どの研修会・学会に出席しようとしても、それを考えただけで激しい怒りや悲しみに襲われ、行けなくなってしまったのである。

九州である学会が催されることになった時、それでも私は参加を申し込んだ。
他の学会・研修会はどれも参加する気になれなかったのだが、以前から気分的に比較的参加しやすいと感じていた学会だった。
しかも、開催地は九州である。そこへ労力と金を使い、前日から泊り込みで行けば、さすがに出席しないわけにはいかないはずだ。要するに、是が非でも出席するしかない状況に自分を追い込んだのである。
これでだめなら、もう次の考え方をするしかない。

朝ホテルで目を覚ましたが、案の定、限りなく気は重かった。
ため息ばかりつき、着替えの動作すら何度も中断しなければならなかったので、とりあえず遅刻することに決めた。
すでにプログラムが始まっているはずの時刻に、朝食も取らず、かろうじてホテルを出た。
学会会場の大学は、ホテルから目と鼻の先だ。とりあえず、大学がある方向に歩いてみる。

大学が見えてきたところで立ち止まった。目の前に、いよいよ主体的に選択せねばならないラインが、かなりリアルに見えた。
完全に感情を殺さぬ限り、もう一歩も進めなかった。
「殺すのか、殺さないのか」と、すでに答えは分かっていながらも自問してみる。
自分の全身全霊が、「行ってはいけない。もう自分を殺してはいけない」と大声で叫んでいる。

私は、「そやな、もう殺しちゃいけないよな」と答え、今度は反対の駅の方向に歩き始めた。
そして、「さあて、えらいこっちゃ……。臨床心理士やめろってことね」と、声に出してつぶやいた。
資格を放棄する腹は、この時にほぼ決まったと言ってよい。
それは、単に嫌だという感情からでなく、「これ以上このおぞましい集団的行為に、加担するわけにはいかない」という「決心」だった。

私はうつの経験者、「自分にうそがつけない人」の一人であると同時に、カウンセラーである。だから、自分が何をすればうつになり、どうすればうつにならないかは、嫌というほど知っている。
そして、断じて自分にうそをつかないということが、多くの場合周囲からどう見えるかということも、またそれがどれほど厳しいことであるかも熟知しているつもりだ。

この記事を読まれた方には、やはり理解してほしいが、半面、理解されないことも覚悟している。
ともあれ、これが今の私にできる説明のすべてである。



追記

ひとつ念を押しておきたい。

私が今回資格を放棄したのは、決して「臨床心理士」という社会的ステータスそのものを嫌ってのことではない。
カウンセラーである自分にとって、この資格は、過去に職まで辞して本気でカウンセラーになろうとし、そのために労力と費用と時間を惜しまず、最善を尽くしたことの証明であり、その意味では確かに誇りにも思っていたのである。

だから、たとえば資格更新の条件が、何個の研修会・学会に参加したかではなく、どれだけ臨床をやってきたかという査定の方法であれば、迷いなく更新手続きをしていたことは言うまでもない(驚くべきことに、臨床実績はいっさい査定の対象とはならない)。
なので、今後も「臨床心理士」という肩書き(?)は出していくつもりである。

資格を放棄した今回のタイミングは、5年という更新までの資格有効期限が切れる時期だった。
つまり、正直に告白するならば、2年余り前に資格放棄を決意してからは研修会や学会に一切出席しなかったため、いわば放っておいても資格は失効するはずだったのである。
しかし、真面目なカウンセラーを自認する私としては、やはり「やめさせられる」のは納得がいかないので、その直前に自主退会したというわけである。

また、一緒にカウンセリングルームを経営する私の妻もまた臨床心理士なのだが、彼女の場合は次の更新時期までまだ4年ある。
だから、彼女はすぐには臨床心理士をやめないが、それは彼女の考えが私と違っているからではない。
彼女は、私が出会った中では、このブログで書いているのとまったく同じ考えを持っている唯一の臨床心理士であることを、あらためて断っておきたい。


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資格はこれから社会に評価を受けなければならない若い人が履歴書に書きこむものです。でも内実はそこからどう進むのかということです。縁あって大学に紛れ込んだのですが、行きたくない所はもう残り少ない生の時間の中では行かない方が身のためだと思っています。

ご無沙汰しております。
コメントありがとうございます。
>行きたくない所はもう残り少ない生の時間の中では行かない方が身のため

それは大きいです。理不尽なルールに適応するために生まれてきたわけではありませんから、ますます自分に正直にいきたいと思います。

たまたま検索していてお邪魔しました。
そのように心が、魂が、運命が望んだのかもしれませんが、やはりショッキングな内容でした。
でもそのような選択が出来る事を、羨ましくも思ったり。。。
ブックマークをつけたので、ブログの記事も拝見したいと思います。

おめでとうございます
は変なのかもしれません

でも

これまでのブログの隅々に、幾度も「抵抗」を表してらしたと思うので、違和感が産まれてきません。

むしろ、これまで紡ぎ出されたお言葉の数々に、太い柱が1本加わったような感覚です。
やっぱり

『おめでとうございます』 です

先程書きました
「抵抗」
は、「抵抗を感じてらっしゃる」という意味です。
少し言葉が足りなかったように思いました。(抵抗している‥等とも受け取れるので)
ごめんなさい。訂正します。

コメントありがとうございます。
正直申しますと、拠って立つ理論・方法論が正反対と言っていいほど異なる学派のカウンセラーまでが同じ臨士会に属し、本音では他学派をまったく受け入れていないのに、表面的には何の批判も行わないという異常なあり方自体に、かなり無理があると感じています。
そのために、大学院のカリキュラムではあらゆる学派の理論を学ばねばならず、しかも表立ってはどれも正しいかのような教え方をされる。当然ながら院生たちは混乱し、次に感情を失ったかのような状態とならざるを得ません。
そして彼らの多くは、自らのありように無自覚なまま、クライアントに自分と同じ状態、無感情であることを強要することになります。
私から見れば、これ以上おぞましい連鎖はありません。
同時に、私にとって臨士会は、巨大な泥舟に見えてしまうのです。

ありがとうございます。
これからの周囲の反応を考え少し緊張しておりますが、大変救われる言葉をかけてくださり、感謝いたします。
言葉で「ブレない」というのはたやすいですが、それを実際に貫くとなるとなかなかに大変です。もっとも、臨士会をやめることを「ブレない」ことと結び付けてくれるカウンセラーは、ほとんどいないと思いますが。

このコメントは管理人のみ閲覧できます

いつも読み逃げさせていただいてます。

タイトルを見て、驚きました!
私自身、カウンセラーの先生が
臨床心理士の 資格を 持っているかどうかを
かなり 重視していましたから。

でも、研修会・学会のことに 少し触れていたことで、
妙に 納得すると同時に、安心しました♪

カウンセリングに 半年ほど 通ってて、
どうしても ぬぐいきれない気持ちがあります。
カウンセラーの先生に 見下されてるような 気がするんです …。
(「見下されてる」っていう言葉が、
私の心にある正確な言葉かどうかは わかりませんが。)

今、とても 疑心暗鬼な気持ちで、カウンセリングに 通っています。

コメントありがとうございます。
ブログは時々拝見しております。私の方も読み逃げで失礼しておりますが。

数年前に、「臨床心理士の国家資格化法案」というのがある程度現実味を帯びたことがありました。
以前は、健康保険が適用できる利点から賛成派でしたが、今の私は正直反対です。
かなりの数のカウンセラーと接してきて、クライアントに対して、本当に何らかの利益をもたらしているカウンセリングが行なわれる確率は、かなり低いのではないかと感じているからです。


テルミンの丸薬はあなたのために良い彼らですか?

カウンセラーを転々とする行為は「カウンセラーショッピング」と呼ばれますが、私も院生の頃は、こういったクライアントを「困ったクライアント」と捉えていたことを告白します。
しかし今では、こうした行為は不可欠だと考えています。

私自身、ウツ病で長期休職をして、最近復職した経験から思うことは、同僚たちの「いらぬ配慮」というストレスの存在と、企業社会の歪みでした。それは幸朋さまが、このブログで過去におっしゃってこられたことととても重なる気がしました。
何の病気もそうかもしれませんが、うつは、やった者にしかわからないのだなということを、改めて痛感しました。
専門の精神科医とて、なったことがない人には分からない部分。それこそが、治療なりサポートに一番重要な経験値かもしれないのに。

だからこそ、企業や地域社会に同病の人間によるセーフティネットのようなものができなければいけないのだろうな、と感じていました。
その意味で、このたびに幸朋さまの苦渋の決断には思うところが大きいです。
多分、幸朋さまの中では、そういう無理解な学会の中で戦わなければならない自分と、ご自身を守らなければならない自分との間で葛藤がおありだったのではないでしょうか。

コメントありがとうございます。
私はどうもmixiとの相性がイマイチだったようで、ご無沙汰しております。

ユングがよく言ったように、自分が自分であるためには、無意識の思わぬ要求に、人は時として勇気を持って従わねばならないということを、今痛感しております。
今回の私の行為は、抽象的な表現ですが、人間の根底に流れる地下水脈に至るための、「井戸を掘る」行為だと考えています。
葛藤というよりも、「あー、しんど……」という感じが近いですね。

こんにちは。いつもブログを拝見しています。
この度、この記事を読んで、先生はほんとうに強い方だと思いました。自分の意に染まないことでも、常識で量って、渋々ながら行うということは多々あると思います。そういう時、自分の信じるものに従って行動された先生は、とても凄いです(葛藤や苦しみは、とても大きかったと思います)。
私も、現在似たような状況に置かれていて、心が不安定になりかかっていますが、先生の記事を拝見して、自己の示すものに従う勇気をいただきました。ほんとうに辛いときは、先生のご決断を思い出して、がんばって乗り越えようと思います。ほんとうに、ありがとうございます。
これからも、ご自身の信念に従い、がんばってください。陰ながら応援しています。
コメントというものを書き慣れていない為、見苦しい部分などがありますが、ご容赦ください。それでは、失礼いたします。

コメントありがとうございます。
今の私にとりましては、本当にありがたいお言葉です。

正直申しますと、私には自分が強い人間だということが自覚できません。
自分がある集団に属し続けるということ自体、その集団の論理を容認することを意味します。
臨床心理士会の場合、私にとってそれを容認することは自分に対する「うそ」であり、どうしてもその「うそ」がつけなかったんですね。
ただ、もうここまでくれば、とことん「うそ」はつかずにやっていこうと考えています。

kohocounsel様の決断を心から祝福するとともに、
資格を失うことに対してお悔やみ申し上げます。
そして、kohocounsel様の自分に嘘をつかないスタンスには、感動しなおされました。

それと、今月から遠くの全寮制の学校に行くので、このブログを見るのが難しくなってしまうので、
この場をお借りして、感謝の意を表明させていただきます。

うつから救って下さって、
有難うございました。

今後とも、幸朋カウンセリングルームと、ブログ『「うつ」−自分にうそがつけない人たち』
の発展を心より願ってまいります。

いつも応援してくださって、ありがとうございます。
みつさんの新しい門出にも、お祝い申し上げます。また、実りある生活が待っておりますこと、お祈り申し上げます。

自分に嘘がつけないというか
自分を頑固にウソで固める自分に困る・・・・摂食障害者です、この病気の治療って・・・・??


おどろきました!
しかし、とてもうれしく拝見しました。
まずは、おめでとうございます!
記事をいつも拝見していて、言葉が生まれ出てこない状態や、いろいろの無意識下の考察を、日々の大事な一足とお考えになっているご様子に、「この方は、ほんとうにご自身を生きているのだ」と思い、安堵しています。
"カウンセラーになるしかない"とお決めになったときのように、今回も、また、さらにご自身の正しいものへ、さらに近づかれたようにお見受けしました。
今は、裸になったかのようなご気分を体験されているかも…?
「うつ」な人々は、(わたしも)kohocounselさんのように、「うつ」でない人からは、一見突飛に見える物質的方向転換をほかならぬ自身から強いられ、裸となり、まるで生まれたばかりの子ように模索し、生きていくように義務付けられているように思えてなりません。
これからも応援させてください。
おめでとうございます。

「自分を生きている」とは、私にとりましては最大の賛辞です。
ありがとうございます。
最新記事「発見」で、臨床心理士という衣を脱いでみて自分の小ささが分かったと書いたのですが、さらに数日たってみると、これまでの経験と思考の中で、意外と身につけてきた実質的なものも少なくなかったことも感じます。
自画自賛ですが。
いずれにしろ、やめないというあり方は、私にはありえなかったようです。

このコメントは管理者の承認待ちです

このコメントは管理人のみ閲覧できます

了解しました。
では、このまま承認せずにおいておきます。
もちろん中身は拝見しました。
貴重なご意見、ありがとうございました。

このコメントは管理人のみ閲覧できます

大変うれしかったです。

このコメントは管理人のみ閲覧できます

はじめてブログを読ませていただき
コメントさせていただきます

臨床心理士をしている彼との交際に際して
私は燃え尽き症候群で精神科での診療・デイケア経験があります
付き合いだしたスタートから彼はまず私が普通か普通じゃないかを判断をし
私の言動や振る舞いのひとつひとつに強迫性人格障害だとか自分のことしか考えていないなどとまるで病気のように扱い 困っていたところに 
このブログに出会い よくわかりました

私は実はゲイなのですが こうしてゲイとして生まれてきた意味
生まれて精神障害を負って生きなければいけない方々の生きる意味
そのひとがどんな状況におかれて生きていても それぞれ生きている意味
その人のかけがえのないすばらしい命を大切に他人に接して生きたいと
思っていた私ですが

臨床心理士をしている彼は 町を歩いていても あっ!あの人病気だね とか
私のこれまで生きてきた環境や生い立ちさえ見ようともしません

世の中には先生のように すばらしい臨床心理士の先生もいらっしゃるのに
彼のような臨床心理士にカウンセリングをうける方々が私にはとても気の毒で

ブログ とても参考になりました ありがとうございます

先生のようなすばらしいお考えの持ち主です
どうかたくさんの方々のお力になってあげてください

心理については何もわからない素人ですが
私も自分の生きていく中で 自分に接する多くの方々の
力になって生きて行きたいと 

このブログを読ませていただいて
再度、決心しました ほんとうにありがとうございました

はじめまして。
心のこもったコメント、ありがとうございました。

いまひとつ人の感情というものが理解できず、そのコンプレックスを解消しようとしてカウンセラーになってしまう人が実に多いのですが、不得意なことを仕事にしてしまうのは、どうもいけません。

むしろ、「カウンセラーなんてどう考えてもしんどそうだ。できればしたくないが、でも自分は、そちらを目指すしかなさそうだ」
と考えていたカウンセラーのほうが、適職だなと感じさせられることが多いです。

初めて会うクライアントに対して、「自分よりも、この人のほうが、人の心理についてよく分かっているかもしれない」
という可能性があることを想定できないカウンセラーや精神科医は、まず害のほうが大きいようです。



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