「うつ」−自分にうそがつけない人たち 臨床心理士会退会
そこで、事実関係や私の内面的な経緯、心情について、より正確な表現を期すために、今後も時々細部に手を加えていくことになろうかと思います。
とくに、すでにコメントを下さった方々に、ご容赦の程をお願いいたします。
唐突ではあるが、重要な発表をせねばならない。
実は2009年3月31日の日付で、臨床心理士資格認定協会に資格失効の願いを提出し、資格証明書を返却した。
つまり、この4月1日をもって、私は臨床心理士ではなくなったのである。
もちろん、開業カウンセラーとしての活動は、今後も一切変わることなく続けていく。
このことは、事前に、家内や身内の他には、一部説明の必要だったクライアントの方々とごく少数の親しい友人にしか公表しなかったが、私自身の胸の内では、少なくとも2年前には確定していたことである。
さらに言えば、その心積もりは、はじめからカウンセリングルーム開業とセットになっていたと言ってよい。
出身大学院の教授や仲間、あるいはかつての職場の同僚でこの記事を読まれた方は、さぞかし驚かれることと思う。
非常に気の重い点だが、中には、エキセントリックな行動だと思う人も多いことだろう。
しかし、もちろん気がふれた訳でもなければ、理想に取り憑かれて無謀な行動に走ってしまったつもりもない。
言うまでもなく、臨床心理士という資格はあって邪魔になるものではない。
それどころか、この資格を得るにはそれなりの年月や労力や費用、何よりもそのためには「カウンセラーになる」という明確な意志を必要とするだけに、少なくとも社会的に見る限り、やはり価値のある資格とされることは重々承知している。
実際に、私自身これまで多くの臨床機関での勤務を経験してきたが、臨床心理士という資格があったからこそ雇用してもらったのだし、臨床経験と実績を積むこともできたのである。
ただ、私にとってこの資格を継続して持ち続けるには、あまりにも抵抗が強すぎた。
退会を決意するにいたった理由については、単純に語れない部分が大きいので、おいおいブログで書いていくことになると思うが、現段階で少しは述べておかなくてはならないだろう。
さしあたっての理由は、理念よりもむしろ実状によるところが大きい。
臨床心理士の資格は、5年ごとに更新される。
で、更新までの間に、資格認定協会から指定されている研修会あるいは学会に、6〜8回程度出席して所定のポイントを獲得、累積させなくてはならない。
つまり、研修会・学会には、平均して年間に1〜2回出れば済むことではある。
しかし私の場合、この年間たった1〜2回の研修会・学会出席を、まずはどうしても生理的に受けつけなくなってしまったのである。
では、研修会・学会のどういった点を生理的に受けつけなくなったのか。
正直、この内容がすらすらと言葉になりにくい。
おそらくは、その場における矛盾が単純ではなく、十重二十重に絡み合っているからだと思う。
矛盾の一例として、このブログでずっと述べ続けてきたように、ほとんどのカウンセラーは、クライアントをはなから劣等者・歪みのある者、カウンセラー自身を優越者と決め付けていると言わざるを得ない。
しかし、症状の発症とは、ある意味人が生きたものである証と言ってもよい現象であり、一概に病者が異常・劣等と、単純に決めつけるわけにはいかない。
歪んだ場の中では、むしろ歪みのない者が発症せざるを得ないことが多々あるのである。
こういった視点は、少なくとも専門家である以上、常に意識していなくてはならないのはあまりに当然であり、多くの専門書にも記されていることである。
だが、実情はあまりにかけ離れている。
あらゆる学会・研修会の発表において、この視点はまったく意識されておらず、フロアからこのことを訴えたとしても、まず90パーセントの確率でその意見は無視される。
発表者からも他の参加者からも、まるで不思議な生き物を見るような目を向けられ、きょとんとされた後、「さて、それでは……」と別の話題に移られるのがオチである。
ただし、それを業界内の有名人が言った場合だけは別だが。
この傾向は、関東の方がより徹底しているように感じる。
その場にいると、こういったことに何の矛盾も感じない参加者たちに対して、心理療法とはクライアントをお仕着せの「正常」という枠に無理やり押し込め、ロボット化させることなのかと、声を荒げたい衝動に駆られる。
私や私の家内は、こうしたとき、握り締めた拳と食いしばった歯を終始緩めることができない。
さらには、心の深い部分が傷つくらしく、研修会参加から少なくとも1〜2週間は、崩れた体調が元に戻らないのが常だった。
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そうした、いわゆる専門家同士のやり取りのひどさは、もはや「無意味」という言葉では表現しきれなかった。明らかに「人としてやってはいけないこと」としか思えなかったのである。
それでも私は10年以上、文字通り歯を食いしばってこういった研究者としての生活を続けたが、とうとう抗えない強さで拒絶反応が出始めた。
4年ほど前から、どの研修会・学会に出席しようとしても、それを考えただけで激しい怒りや悲しみに襲われ、行けなくなってしまったのである。
九州である学会が催されることになった時、それでも私は参加を申し込んだ。
他の学会・研修会はどれも参加する気になれなかったのだが、以前から気分的に比較的参加しやすいと感じていた学会だった。
しかも、開催地は九州である。そこへ労力と金を使い、前日から泊り込みで行けば、さすがに出席しないわけにはいかないはずだ。要するに、是が非でも出席するしかない状況に自分を追い込んだのである。
これでだめなら、もう次の考え方をするしかない。
朝ホテルで目を覚ましたが、案の定、限りなく気は重かった。
ため息ばかりつき、着替えの動作すら何度も中断しなければならなかったので、とりあえず遅刻することに決めた。
すでにプログラムが始まっているはずの時刻に、朝食も取らず、かろうじてホテルを出た。
学会会場の大学は、ホテルから目と鼻の先だ。とりあえず、大学がある方向に歩いてみる。
大学が見えてきたところで立ち止まった。目の前に、いよいよ主体的に選択せねばならないラインが、かなりリアルに見えた。
完全に感情を殺さぬ限り、もう一歩も進めなかった。
「殺すのか、殺さないのか」と、すでに答えは分かっていながらも自問してみる。
自分の全身全霊が、「行ってはいけない。もう自分を殺してはいけない」と大声で叫んでいる。
私は、「そやな、もう殺しちゃいけないよな」と答え、今度は反対の駅の方向に歩き始めた。
そして、「さあて、えらいこっちゃ……。臨床心理士やめろってことね」と、声に出してつぶやいた。
資格を放棄する腹は、この時にほぼ決まったと言ってよい。
それは、単に嫌だという感情からでなく、「これ以上このおぞましい集団的行為に、加担するわけにはいかない」という「決心」だった。
私はうつの経験者、「自分にうそがつけない人」の一人であると同時に、カウンセラーである。だから、自分が何をすればうつになり、どうすればうつにならないかは、嫌というほど知っている。
そして、断じて自分にうそをつかないということが、多くの場合周囲からどう見えるかということも、またそれがどれほど厳しいことであるかも熟知しているつもりだ。
この記事を読まれた方には、やはり理解してほしいが、半面、理解されないことも覚悟している。
ともあれ、これが今の私にできる説明のすべてである。
追記
ひとつ念を押しておきたい。
私が今回資格を放棄したのは、決して「臨床心理士」という社会的ステータスそのものを嫌ってのことではない。
カウンセラーである自分にとって、この資格は、過去に職まで辞して本気でカウンセラーになろうとし、そのために労力と費用と時間を惜しまず、最善を尽くしたことの証明であり、その意味では確かに誇りにも思っていたのである。
だから、たとえば資格更新の条件が、何個の研修会・学会に参加したかではなく、どれだけ臨床をやってきたかという査定の方法であれば、迷いなく更新手続きをしていたことは言うまでもない(驚くべきことに、臨床実績はいっさい査定の対象とはならない)。
なので、今後も「元臨床心理士」という肩書き(?)は出していくつもりである。
資格を放棄した今回のタイミングは、5年という更新までの資格有効期限が切れる時期だった。
つまり、正直に告白するならば、2年余り前に資格放棄を決意してからは研修会や学会に一切出席しなかったため、いわば放っておいても資格は失効するはずだったのである。
しかし、真面目なカウンセラーを自認する私としては、やはり「やめさせられる」のは納得がいかないので、その直前に自主退会したというわけである。
また、一緒にカウンセリングルームを経営する私の妻もまた臨床心理士なのだが、彼女の場合は次の更新時期までまだ4年ある。
だから、彼女はすぐには臨床心理士をやめないが、それは彼女の考えが私と違っているからではない。
彼女は、私が出会った中では、このブログで書いているのとまったく同じ考えを持っている唯一の臨床心理士であることを、あらためて断っておきたい。
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テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体
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