2012年3月28日水曜日

ALS:なおること/…


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ALS:なおること/…


■なおることについての記述
■「リルテック」
■ラジカット
■遺伝子医療/ES細胞/iPS細胞
■民間療法
■ALSとHGF [別頁]

■なおることについての記述

◆1973 「新聞で、四十八年度の難病対策として、私と同じ病気名が、特定疾患に追加される記事を読んで、ほっとすると同時に、これから研究が始まるのでは、自分の病気をなおすには、まにあいそうもないような気がしてきた。
 一世紀も前からあばれまわっている病気が、厚生省のいう五年をめどに対策を講じようとしてみても、おいそれとはその処方が探れるとは思われない。かりに、五年後に治療法が見つかったとしても、この病気の平均寿命と、私自身の病気の進行速度を考えてみると、とてもまにないそうにもない。」(川合[1987:154])

◆1975年頃 「日本でALS治療に多岐にわたる薬剤が試みられたことが…厚生省研究班の報告にあります。副腎皮質ホルモ� ��、タンパク同化ホルモン、グルカゴンATP+ニコチン酸、L−DOPA、ペニシリン、グアニジン、CDP−コリン、抗コリンエステレース酸、成長ホルモン、膵エキス、高圧酸素、抗結核薬、塩酸メクロフェキセート、金属キレー(p.7)ト剤などです。/しかし、いずれも少数の患者さんを対象とし治療経験例の報告で、ALSの進行を抑制したり、長期予後を改善させたりできるものではありませんでした。」(pp.7-8)
 中野 亮一・辻 省次 20001001 「気の遠くなるような治療研究の積み重ね」,『難病と在宅ケア』06-07(2000-10):07-10

◆1993年 「堰が切れてワーッと進み始めているような気がしますので、ALSの治療に関してかなり確実なことがわかるのも、あまり遠い将来のことではないような気がします。」
 「アメリカにおけるALSの治療研究」 三本(みつもと)博『JALSA』028号(1993/08/31)p.21

◆1993年 「知本さんのかかっている筋萎縮性側索硬化症もこの難病の一つで、現在なお患者さんの期待を背に鋭意究明の努力が続けられ、今一歩で解決という段階に来ている。」(知本[1993:4]) 知本さんの戦友として 国立療養所中部病院院長(前鹿児島大学学長) 井形昭弘pp.3-7 執筆は一九九三年五月)

◆1994年 「柳沢先生のご講演にもありますよ� ��に、今、ALSの研究が世界的規模で進められていて、治験薬も次々と試されつつあります。この病気の原因が究明されるのも決して遠くはないと信じて、頑張ってゆこうではありませんか。」(編集後記)
 『JALSA』032号(1994/07/30)

◆日本ALS協会の基金の多くは原因究明とそして治療法の開発のための研究に対して…されている。(各年度の件数。金額。)

◆「特定疾患調査研究事業を22年ぶりに見直し」
 『難病と在宅ケア』02-01(1996-04):21

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※
「第2章 まだなおらないこと 1 今のところなおらない  これから見ていく告知をめぐる困難にしても、また呼吸器を付けるとか付けないといったことも、安楽死にしても、みなALSが今のところなおらない病気であることによっているとは言える。だからなおるようになればよい。それはその通りだ。ALSが治療可能になることへの期待は強く、その期待は多く語られる。ときには自分が新しい薬の治験を受けさせてもらえない苛立ちが語られる。
 私もなおす方法が現れると思う。近代医学・医療は特定病因論を前提にするとされる。これは特定されない病の場合には効力が弱いということだが、特定されれば一定の力を発揮しうるということでもある。なぜALSが起こるのか、その原因はわかっていない。しかし何が起こっているかははっきりしている。側索(そくさく)とは脊髄の中の錐体路 で、大脳皮質から手足の筋肉を動かす命令が通る通路である。この側索の髄鞘(ずいしょう)の消失・脱髄が起こり、脊髄の運動神経、前角細胞が消失してしまう。そして筋肉が萎縮していく。
 起こっていることは特定されているのだから、やがて少なくとも直接の原因、症状発生の機序はつきとめられるだろう。その特定によって治療法が見つかるだろう。あるいは原因解明に先んじ、様々な処方のいずれかが、時にその機制はよくわからないまま有効であることが明らかになるだろう。
 しかしこれまでのところ治療法はなく、今はなおらない。様々な病がそうであったように、あるように、これまでも様々な治療法が試みられてきた。また研究がなされてきた。
【73】 一九七三年。《新聞で、四八年度の難病対策として、 私と同じ病気名が、特定疾患に追加される記事を読んで、ほっとすると同時に、これから研究が始まるのでは、自分の病気をなおすには、まにあいそうもないような気がしてきた。/一世紀も前からあばれまわっている病気が、厚生省のいう五年をめどに対策を講じようとしてみても、おいそれとはその処方が探れるとは思われない。かりに、五年後に治療法が見つかったとしても、この病気の平均寿命と、私自身の病気の進行速度を考えてみると、とてもまにないそうにもない。》(川合[1987:154]。初版は川合[1975])
【74】 七五年頃。《日本でALS治療に多岐にわたる薬剤が試みられたことが[…]厚生省研究班の報告にあります。副腎皮質ホルモン、タンパク同化ホルモン、グルカゴンATP+ニコチン酸、L-DOPA、ペニシリン、グア ニジン、CDP-コリン、抗コリンエステレース酸、成長ホルモン、膵エキス、高圧酸素、抗結核薬、塩酸メクロフェキセート、金属キレート剤などです。/しかし、いずれも少数の患者さんを対象とした治療経験例の報告で、ALSの進行を抑制したり、長期予後を改善させたりできるものではありませんでした。》(中野・辻[2000:7-8])
 ALSの人の集まりでは医師が講演に呼ばれ、どこまで解明が進んだといった話をすることが多い。
【75】 九三年。《堰が切れてワーッと進み始めているような気がしますので、ALSの治療に関してかなり確実なことがわかるのも、あまり遠い将来のことではないような気がします。》(三本[1993:21])
【76】 九三年。《知本さんのかかっている筋萎縮性側索硬化症もこの難病の一つで、現在なお� �者さんの期待を背に鋭意究明の努力が続けられ、今一歩で解決という段階に来ている。》(井形[1993:4]。井形は知本[42]の入院先の国立療養所中部病院の院長)
【77】 九四年。《柳沢先生のご講演にもありますように、今、ALSの研究が世界的規模で進められていて、治験薬も次々と試されつつあります。この病気の原因が究明されるのも決して遠くはないと信じて、頑張ってゆこうではありませんか。》(『JALSA』32の編集後記。講演は柳沢[1994]、[114]に一部引用)
【78】 九五年。《すべての面において一〇年前とは明らかにこの方面は進歩していると思います。また、今後わずかの間に驚くような、うれしい局面が展開する予感がしています。》(糸山[1995:13]。日本ALS協会総会記念講演の結語)」(立岩[2004])

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■「リルテック」

◆『JALSA』035号(1995/00/00)
 欧米でのリルゾールの治験結果出る

◆『JALSA』042号(1997/12/22)
□ 「小諸介護研修合宿 於 長野佐久市ホテル・ゴールデンセンチュリー 平成九年六月二八・二九日
―質疑応答―
二日目「懇談会」より(前日配布の質問票をもとに)
第一部 
一。治療薬について
Q。リルゾールが韓国から入手できると聞くが、それについての考えを聞きたい。
A。協会として、来年度には日本でも認可されるよう、厚生省に要請していく。」(p.28)

◆1998/12/02 中央薬事審議会常任部会議事録
 
 実名は隠されている委員は冒頭次のように言う。「日本での症例数は、患者さんの会その他の話では恐らく年間2000〜3000人ぐ� ��いの新しい患者ですが、実際にいったん発症すると非常に予後がよくなくて、大体一年から一年半くらいで亡くなる非常に進行性の病気でありまして、やはりそれに対する治療が必要であるが、薬がないという悲惨な状況であろうと思われます。」
 「結論的には私も賛成です。ただ、今はALSの場合だから余り有効性がはっきりしないけれども、ほかに薬がないからやむを得ず承認してしまおうということだと思います。」

◆『JALSA』045号(1998/12/10)
 「リルゾールの輸入漸く承認
 12月2日、厚生省の中央薬事審議会常任部会は、ALSの医療機関用の治療薬として、「リルゾール」(アイルランドで製造)の輸入を承認しました。
 欧米では、1996年から発売、使用されているこの「リルゾール」の薬効は、場合により、ALSの進行を約3か月抑制する効果がある程度といわれている一方、肝障害といった副作用の問題もあり、とうてい満足する訳にはまいりませんが、何はともあれ初の治療薬として承認されたことは喜ばしい限りです。
 いつから、どのようにして、利用できるかですが、これから薬価等が審議されるため、まだ明らかではありません(順調に手続きが進めば、明春からとの観測情報)。
事務局としては、現� �個人輸入に多額を投じている方が少なくないことでもあり、厚生省と連絡を密にして、詳細確報の把握に努める所存です。」(p19)

◆佐藤 猛(国立精神・神経センター国府台病院名誉院長) 1999/03/09
 「ALSの治療薬:リルテックについて」
 『JALSA』(1999/04/08)046号:04
 
 「筋委縮性側策硬化症(ALS)の治療薬剤として、今回リルテック錠50(一般名:リルゾール、販売会社:ローヌ プーラン ローラー)が保険薬として認められ、3月末には発売される見込みとの発表がありました。以前から患者さんの問い合わせが多く、期待しておられた方もおられると思いますので、文献とメーカーから得た資料をもとに、リルテックについて説明いたします。[…]
 進行が止まったり、筋力が元のように回復することはありません。従って、この薬に過度の期待を寄せることはできません。ALSでは、他に有効な薬剤は未だなく、欧米でリルテ� ��クが認可されているのなら、効果が僅かでも服用したいと希望する患者さんが多いと聞きます。発売後の調査の中で、日本におけるこの薬の有効性を確認する、という条件で、厚生省が認可を与えたとのことです。」(佐藤[1999])

◆後藤忠治
 
 パソコンと呼吸器・・・・1999年(平成11年)
 「川島先生より[リルテック]の個人輸入の説明を受ける。「過剰に期待しないように」との説明もあったがその場で手続きをお願いする。ほんの少しでも可能性があれば験してみたい。四月から保険で服用できるとの事だがそれまでまてない。
 後日手続きに時間がかかり三月にずれ込むとの連絡が入りそれならば四月まで待った方がいいという事になり、個人輸入は見送る事にする。
 四月。待ちに待った[リ ルテック]。過剰に期待しないようにとの説明であったがどうしても期待してしまう。副作用の説明もあったがそんな事は眼中に無い。ただひたすら効く事を祈るだけです。」

◆『JALSA』047号(1999/06/12)

□「平成11年度総会開く
〔…〕
一、松本会長挨拶
 […]
 この四月からALS治療薬としてリルゾールが認められましたが、日本の治験成績から見るとあまり芳しくないようです。それでも特効薬を待ち望んだ患者にとっては一つの光明であります。これをバネに原因、治療法の研究のスピード化を厚生省にお願いしなければなりません。
 そして、本当にALSが治る特効薬が開発されるまでは、せめて療養環境を整備して、安心して療養生活が送れるようにと、強く訴えつづけたいと思います。」
 � �…]
二、議事
(一)平成十年度活動報告
〔…〕
○次に対外面では、@初のALS薬品リルテックの輸入が承認され、この四月から適合する患者さんに処方されることとなりました。」(p.7)

◆日本神経学会 2002 「ALS治療ガイドライン」より
 

「X.薬物療法(リルゾール)

ALSに対するリルゾール(リルテックR)治療の報告

 ALSに対するリルゾール治療の報告は国内外で120以上の論文がある.ALS全体に対する効果についての報告のほか,投与量と効果の関係,特定症状に対する効果,副作用,患者の同意,などについての報告があるが,総説も多い.

効果

 欧米で施行された最初の臨床試験(155例,Bensimon et al. 1994)では,ALS患者の生存期間が延長し,特に球型でより明らかであった.また筋力低下の進行速度が遅延したとの知見も得られた.その後に実施されたより大規模の試験(959例,Lacomblez et al. 1996a)では,球型・四肢型ともに生存期間の有意な延長が認められた.ただし徒手筋力やNorris scaleなどの機能評価では増悪速度の遅延は確認できなかった.同じ研究グループによるメタアナリシス(Lacomblez et al. 1996b)では投与量と効果の関係を検討し,一日量50mgよりも100mg,200mgでより有効であった.生存率が80%,70%,60%になるまでの期間をみると,リルゾール100mg・200mg投与でいずれも約3ヶ月延長した.同じ症例を用いたADLに注目した重症度解析(Riviere et al. 1998)では,重症者には明らかな効果がなかったが,軽症例では重症化への進行が遅れたという結果が得られた.
 一方,日本人患者を対象にした臨床試験(195例,柳澤,他 1997a)が行われたが,生存期間は全体としても,また臨床型別・投与量別に検討してもplacebo群との間に全く差はなく,有意な効果は認められなかった.欧米・日本の不適当症例を除いた100mg投与の全患者を対象にしてメタアナリシス(828例,柳澤,他 1997b)が行われ,生存期間の有意な延長が確認された.ただし重症度別に解析すると,high risk群でのみ生存期間の延長が確認された.
 いずれの臨床試験も一次評価項目は死亡や気管切開までの期間などであり,実質的な生存期間が評価された.試験結果の違いについては,患者の重症度や評価の感受性などの問題のほか,治療・ケア体制,家族の対応,などの要素も考慮に入れる必要がある.

副作用

 すべての臨床試験を通じて,重篤な副作用はみられない.比較的頻度の高いものとして,悪心,嘔吐,下痢,食欲不振などの消化器症状,眠気,無力感,めまい,錯感覚などの神経症状,検査では肝機能障害(GOT,GPT),貧血などが報告されている.臨床試験に参加した症例の最も多いLacomblez et al.の報告(959例)を下記に示すが,その他の報告でもほぼ同様の結果である(柳澤,他 1997a,Roch-Torreiles et al. 2000,Pongratz et al. 2000,Scelsa et al. 2000).
 消化器症状はplacebo群でも数%〜10数%の頻度でみられたが,50mgでは殆ど変化がなかった.悪心,嘔吐は100mgでplacebo群に比べて増加(それぞれ約20%,5%),200mgでも差はなかった.食欲不振,下痢は200mgで増加したが10%未満である.
 神経症状は傾眠,しびれが100mg以上で出現し,200mgでは更に増加したが,200mgでも数%以下であった.めまいは200mgで10数%みられた.
 検査所見ではGPT増加(正常上限の5倍以上)は50mgで5%,100mg 7%,200mg 12%と投与量と共に増加した.GOTには明らかな増加(正常上限の3〜5倍以上)は見られなかった.貧血(Hbで10g/dl以下)は50mgで1%以下,100mg 3%,200mg 6%とやはり投与量と共に増加した.

患者の同意

 リルゾール治療についての患者の同意の問題が報告されている(46例,Rudnicki 1997).リルゾール治療について,寿命延長効果は平均3ヵ月であること,筋力・呼吸などの進行は変わらないこと,さらに必要経費,副作用について説明したあと,治療に同意するかどうかが調査された.その結果,治療に同意した人17例(37%),同意しなかった人29例(63%)であった.同意しなかった人の第一の理由は効果が乏しいことだった.
 調査は米国で行われたもので,病名告知についての日米の差を考慮する必要があるが,リルゾールの効果がかなり限定されたものであること,重篤とはいえないが副作用は起こる可能性があることから,リルゾール治療についての患者の同意は必要であろう.

リルゾール治療のガイドライン


私はずっとスイカを食べるとなぜ私は病気か

治療の妥当性
 治療することが望ましい.
 ただし効果は顕著ではない.その旨を伝えた上での患者の同意が必要.
 努力性肺活量が60%以下の患者では効果が期待できないので投与しない(厚生労働省).
標準投与量
 100mg/日.最初は50mg/日から始めることが望ましい.
 200mg/日の効果は100mg/日とほぼ同様であり,副作用は200mgで増える.
禁忌
 リルゾールに対するアレルギーを有する患者
副作用
 重篤な副作用なし.
 頻度の比較的高いもの
  消化器症状:嘔気,嘔吐,下痢,食欲不振
  神経症状:無力感,めまい,錯感覚
  検査異常:肝機能障害(GOT,GPT),貧血,好中球減少
使用上の注意
 治療前および治療中に定期的に血算,肝機能検査を行う.
 肝障害を起こし得る薬剤の併用に注意する.
 肝・腎機能障害,感染症患者は慎重な投与が必要.
文献

Bensimon G, Lacomblez L, Meininger V, et al.: A controlled trial of riluzole in amyotrophic lateral sclerosis. N Engl J Med. 1994; 330: 585-591 (Ib, 155例)
Galer BS, Twilling LL, Harle J, et al.: Lack of efficacy of riluzole in the treatment of peripheral neuropathic pain conditions. Neurology. 2000; 55: 971-975 (Ib, 43例)
Lacomblez L, Bensimon G, Leigh PN, et al.: Dose-ranging study of riluzole in amyotrophic lateral sclerosis. Lancet. 1996a; 347: 1425-1431 (Ib, 959例)
Lacomblez L, Bensimon G, Leigh PN, et al.: A confirmatory dose-ranging study of riluzole in ALS. ALS/Riluzole Study Group-II. Neurology. 1996b; 47: S42-50 (Ia, 959例)
Pongratz D, Neundorfer B, Fischer W: German open label trial of riluzole 50mg b.i.d. in treatment of amyotrophic lateral sclerosis (ALS). J Neurol Sci 2000; 180: 82-85 (919例)
Riviere M, Meininger V, Zeisser P, et al.: An analysis of extended survival in patients with amyotrophic lateral sclerosis treated with riluzole. Arch Neurol 1998; 55: 526-528 (Ia, 959例)
Roch-Torreiles I, Camu W, Hilaire-Buys D: Adverse effects of riluzole (Rilutek) in the treatment of amyotrophic lateral sclerosis. Therapie 2000; 55: 303-312 (153例)
Rudnicki: Factors influencing a patient's decision regarding riluzole: an early experience. J Neurol Sci 1997; 152: S80-81 (46例)
Scelsa SN, Khan I: Blood pressure elevations in riluzole-treated patients with amyotrophic lateral sclerosis. Eur Neurol 2000; 43: 224-227 (35例)
柳沢信夫,田代邦雄,東儀英夫,他:日本における筋萎縮性側索硬化症患者に対するRiluzoleの二重盲検比較試験.医学のあゆみ 1997a;182:851-866(Ib,195例)
柳沢信夫,田代邦雄,東儀英夫,他:筋萎縮性側索硬化症に対するRiluzoleのメタアナリシス.医学のあゆみ 1997b;182:867-878(Ia,828例)」

◆2004/09 ALS治療薬/リルテック製品情報

Live Today For Tomorrow ALS筋委縮性側策硬化症の疾患治療に関する情報プログラムより

開発の経緯
リルテック(一般名:リルゾール)は,フランスのローヌ・プーラン ローラー社(現サノフィ・アベンティス社)において開発された,神経細胞保護作用を有するベンゾチアゾール系の合成化合物であり,グルタミン酸作動性神経においてグルタミン酸伝達を抑制します.
リルテックの薬理学的作用は1980年代初頭から検討され,海外での第I相,また,筋萎縮性側索硬化症(ALS:amyotrophic lateral sclerosis)を対象とした第II相及び第III相試験の成績を評価・検討した結果,本剤の有効性と安全性が認められました.
本邦においては1993年より第I相に引続き第III相試験が開始され,同年11月にALSを対象とした希少疾病医薬品(オーファンドラッグ)の指定を受 け,1998年12月にALSの治療,ALSの病勢進展の抑制を効能・効果とした輸入承認を得て,1999年3月よりローヌ・プーラン ローラー株式会社(現サノフィ・アベンティス株式会社)より発売するに至りました.本剤は既に米国をはじめ世界40ヵ国以上で発売されています.

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※
 「比較的近いところでは、「リルテック(一般名:リルゾール)」という薬が使われるようになった。ALSでは、神経伝達物質であるグルタミン酸の過剰分泌が運動神経細胞の変性を起こしていると考えられるのだが、リルテックはグルタミン酸の分泌を抑える作用を有する薬で、米国、フランス等でALSの治療薬として承認された。初期の紹介として例えば以下。
【79】 九四年、九六年の論文を紹介し、《約三ケ月の延命効果があったとも言える。この結果が、ただ今現在ALSを患う患者にとって、とても満足できるものでないことは言うまでもない。しかし、ルー・ゲーリックが逝いて五四年目にして、初め� �ALS患者を『治療』できる薬が開発されたという意味では、歴史的に偉大な一歩と言えるであろう。/ALSの究極の原因がわかっていないこともあり、リルゾールがどうして治療効果があるのかということは十分にはわかっていないが[…]》(西野[1997:11])
 その後、日本でも使用が認められることになった。
【80】 一九九八年一二月二日、中央薬事審議会常任部会。実名は伏せられている委員は冒頭次のように言う。《日本での症例数は、患者さんの会その他の話では恐らく年間二〇〇〇〜三〇〇〇人ぐらいの新しい患者ですが、実際にいったん発症すると非常に予後がよくなくて、大体一年から一年半くらいで亡くなる非常に進行性の病気でありまして、やはりそれに対する治療が必要であるが、薬がないという悲惨な状況� �あろうと思われます。》(中央薬事審議会常任部会[1998])
 毎年二〇〇〇から三〇〇〇人は多すぎ、一年から一年半は短すぎる。今は間違いとされていても、かつては正しいとされていたことがあり、その時点で捉えれば間違いと断ずるのが難しい場合も時にはある。しかし、右は明らかな間違いな部類に属する。
【81】 《ALS(筋萎縮性側索硬化症)という恐ろしい病気があります。それに罹ると、運動神経細胞が萎縮して全身不随となり、やがて死に見舞われるという難病です。日本でも遠からず流行しそうな兆候があり、医学界が急いで対策を研究しているというニュースが最近テレビで報道されました。》(松田[1997:143]。Schwartz[1996=1997]の「訳者あとがき」の書き出し)
 私がこれまで読んだなかではこの記述 が最もよく間違っているのだが、それに比べればたしかに中央薬事審議会常任部会での発言[80]の方が水準が高いと言うべきか、どちらとも言えないと言うべきか、ともかく説明はなされ、使用が承認されることにはなる。委員の一人は次のように発言する。
【82】 《結論的には私も賛成です。ただ、今はALSの場合だから余り有効性がはっきりしないけれども、ほかに薬がないからやむを得ず承認してしまおうということだと思います。》(中央薬事審議会常任部会[1998])
 海外の実験では部分的な有効性が認められたが、国内の治験では有効性は見出されなかった(関連した研究結果の概要は日本神経学会の『ALS治療ガイドライン』(日本神経学会[2002])に要約されている)。それほどの効果は見込めないが、保険薬とし て認められ、一九九九年三月に発売になった。
【83】 すぐにこの薬について説明を求められ、佐藤猛(国立精神・神経センター国府台病院名誉院長)はALS協会の機関誌に寄稿する。その説明自体は、妥当な、穏当なものである。《進行が止まったり、筋力が元のように回復することはありません。従って、この薬に過度の期待を寄せることはできません。ALSでは、他に有効な薬剤は未だなく、欧米でリルテックが認可されているのなら、効果が僅かでも服用したいと希望する患者さんが多いと聞きます。発売後の調査の中で、日本におけるこの薬の有効性を確認する、という条件で、厚生省が認可を与えたとのことです。》(佐藤[1999])
 保険薬に認められる前には、幾つかの手続きを踏んだ上で医師が個人輸入するという手段 がとられた。
【84】 《私自身が個人輸入を申請したALS患者さんは五名です。[…]わたしから勧めたことはありません。それはたとえ呼吸不全に陥る時期が数カ月延びることが期待できても、それまで毎月一〇万円ずつの自己負担になってしまい、それだけのお金があればQOLをよくするために、例えば動けるうちだったら旅行したり、介護人を多く雇って家族の負担を少なくしたほうにお金を費やすのが有益と思われるからです。/しかし、どうしてもリルゾールを服用したいと遠くから訪ねてこられる方がいます。期待される効果がわずかであること[…]を説明し[…]》(吉野[1999:10])
【85】 《川島先生よりリルテックの個人輸入の説明を受ける。「過剰に期待しないように」との説明もあったがその場で手続きをお願� ��する。ほんの少しでも可能性があれば験してみたい。四月から保険で服用できるとの事だがそれまでまてない。/後日手続きに時間がかかり三月にずれ込むとの連絡が入りそれならば四月まで待った方がいいという事になり、個人輸入は見送る事にする。/四月。待ちに待ったリルテック。過剰に期待しないようにとの説明であったがどうしても期待してしまう。副作用の説明もあったがそんな事は眼中に無い。ただひたすら効く事を祈るだけです。》(後藤忠治[67]のホームページ、後藤[2000a])
【86】 《私がリルテックのことを知ったのは、昨年の初めころだったと思う。新聞を読んでいてALS治療薬の記事を見つけた。外国ではすでに使われていたが我が国では、厚生省が使用を認めていなかった。/しかしこの四月から移入 が認められ使用が許可されると言うことである。/次の受診日、私はその記事を先生に見せて詳しいことを知りたいと頼んだ。/先生も薬のことはよく知っておられたが、国内での使用例もなく、まだ取り寄せることも出来ないのでよく調べてみますと言うことだった。/ただ治療薬ではなく症状が進むのを遅らせると言うだけで、副作用も考えられあまり期待しない方がよい、と言うことだった。/しかし病人としては藁にもすがる思いで、使用できるようになったら手配してほしいと頼んだ。少しでも病状が進まなければいい、そのためには進んでからでは遅い、少しでも早いほうがよいと思った。/六月の始め、先生からリルテックの話があった。そして薬の説明書を貰った。/家に帰って読んでみたが専門用語が書いてあってよく� ��わからない。/しかし、どのような副作用があるかはよく解かった。胸のむかつき、下痢、人によっては便秘の症状が出ると書いてある。そして、副作用だけ出て薬が効くかどうかはわからない。先生には、自分の責任で飲むから、手配していただくようにと頼んだ。/説明書くらいの副作用ならかまわないと思った。効かなくてもともと、そのときはやめればいいではないか、効けばもうけもの、後の人の参考にもなる。/七月の中頃から服用が始まった。治療らしい治療である。一日二回、朝晩、食前一時間前の服用である。飲み始めて二日目、早くも副作用の症状が出始めた。胸がむかつく、気持ちが悪い、でも食欲はあった。食べることに支障はない。このくらいの副作用ならどうと言うことはない、それに時間も短く、少しく� �いあった方が薬が効いている気がした。》(東畑[2001])
【87】 一年後、二〇〇〇年。《服用を始めて一年になる。その効果については誰にもわからない。先生のはじめの説明で、「症状を改善する薬ではない。少しでも病気の進行を抑えられればよい位の気持ちで服用してください。」との説明であったが、現在と服用はじめの状態を比べてみても、わずかな進行は感じられるがほとんどわからない。/飲んでいるからこの程度なのか、飲まなくても変わらなかったのか、私にもわからない。でも服用を始めてしまったのだから、やめる勇気もない。幸い副作用は何も感じられない。/今後も服用を続けるより仕方ないだろう。》(東畑[2001])
 リルテックは――やはり、と言ってよいか――どうやらさほど効かない、とい� ��ことになった。
【88】 《ALSは治療といえる程の効果をもつ薬が存在していないのが残念なことなのですが、現状なのです。/ですから、新しく登場したこの薬には、当然大きな期待が寄せられるのです。この薬の効果については海外でも日本でも患者さんに投与して検討されていますが、その結果を見るかぎり病気を治すという効果は期待できません。》(中原[2001:40-41])
【89】 《この薬は比較的早期のALSに対して病勢を弱くする効果がある。ただし残念なことに完全に病気の進行を抑制したり筋力を回復したりすることは望めない。》(石垣・祖父江[2003:59])

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■「ラジカット」

◆「国立精神・神経センター国府台病院 ALS医療相談室ALS臨床試験(プラセボ対照二重盲検試験)参加者募集[募集終了致しました]」
 

◆小谷野 徹(千葉県)・『光の音 風の音』 20020810-
 
 「私のALSくろにくる」
 

 
 11月にホームページで知る。

 
 「2002年 生活の変容
 10月 今月から国府台病院で、自費で「ラジカット」の投与を受けることにした。月曜から金曜までの5日間を隔週で通院する予定。抗生物質ミノマイシンも飲み始める。今のところ自覚できるような症状の改善は見られないが、しばらくは続けて見ようと思う。今月に入って室内で二度転倒した。幸いけがはないが室内の歩行もおぼつかなくなってしまった。両腕に続いて、両足の運動機能も風前のともしびとなってきた。
 […]
 11月 11月9日船橋市のアンデルセン公園に行った。肌寒い一日だったが、深まる紅葉の中を久しぶりに散歩した。帰りには中華レストランで外食も楽しめ、楽しい一日となった。今月もラジカットの自費投与を二週間続けたが、病気はますます進行している。寒さのせいだろうか? 両手麻痺のため布団がかけられず苦労していたがハロゲンヒーターを購入し布団代わりに使いはじめたら、非常にあたたかく重宝している。」

◆藤本栄『ALSを楽しく生きる』
 
 

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※
 「次にラジカット(商品名、一般名はエダラボン)が試用されはじめた。この薬は二〇〇一年に急性期の脳梗塞に伴う症候、機能障害の改善に効果のある薬として承認され、六月から販売、医療保険も使える(ALSの場合は自己負担になる)。吉野英(当時千葉県市川市の国立精神・神経センター国府台病院神経内科、その後徳洲会グループ治験センター長)[84]が病院の倫理委員会に二〇〇一年七月に申請、一二月に許可され、臨床試験(プラセボ対照二重盲検試験)を開始した。実薬を投与される人と偽薬(生理食塩水)を投与される人がいるが、どちらを投与されるかわからない。五〇人に五日間連続を四� ��。その後希望者には実薬を一四日連続で投与するというもの(吉野[2002a][2002b])。 【90】 中村修一(新潟県)は吉田雅志[63]のホームページ(吉田[1996-])で臨床試験の開始を知り、ALS協会新潟県支部で話をし、参加を勧められた。二〇〇二年一月二五日から二月八日まで試験に参加。中村の場合は、《今回、二週間という限られた日数の入院の治療薬検討試験では、私には、残念ながら目に見えての効果は無かったみたいです。》(中村[2002])  他に、国府台病院に通院し自費で薬を投与した小谷野徹の報告(小谷野[2000-])、藤本栄の報告(藤本[200?])等がある。前者は効果は見られないようだと、後者は効果があると記している。ただ少なくともこの薬によって顕著な効果があったとはやはり言えないようだ。  ALSに効果があることの利益は大きいと考えられているから、副作用がそれほどないと思われる場合には、それは気にかけられない[85][86]。ただ、ラジカットについては、脳梗塞の人に使った場合に急性腎不全の副作用があることがわかり死亡例が報告された。このことに言及している人もいなくはない。 【91】 二〇〇三年一〇月三一日。《ラジカットで死者一五人とテレビで報じている。すぐに山本先生に情報公開をお願いした。[…]/一一月一一日 夕方山本先生回診に見える。先日の情報公開の件予想していた通り満足な回答得られず。まああんなもんだろう。結局このへんでは死亡者はゼロでしたというだけ。これで情報を公開したと思っているんだろうか。》(宮本[2004])」(立岩[2004:])

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■遺伝子医療/ES細胞/iPS細胞

◆『JALSA』023号(1991/10/25)

 「家族性ALSの起因となる遺伝子座と21番染色体の連鎖と遺伝座位の異質性について」

◆『JALSA』031号(1994/03/25)

 ALSの遺伝子解析――病因解明への道

◆『JALSA』054号(2001/10/10)


家族は、閉鎖性頭部外傷によってどのように影響を受けるか

 「ALS原因遺伝子を特定」 35 新聞記事紹介

◆『JALSA』062号(2004/04/28)

□「チャンスの神様
 ゲノム解析、もう採血はお済でしょうか?
 たった14ccでも、患者である方にしかできない大仕事です。
一月の厚労省ALS新規治療法研究・糸山班の会議の後、佐藤猛先生から、「橋本さんには難しいでしょうから」と解説のお手紙を頂きました。
 冒頭に「日本の基礎医学の分野はすばらしい。六〜七年で成果が出ているので、希望を持って頑張りましょう」という内容が記されていました。
 時を違わず郭先生のチームからは、「ALS原因究明に糸口発見」のニュース。
 これでゲノム解析が進め� �、多方面から頂上を目指せます。
「ゲノム」と「AMPA受容体」二つのチャンスに巡り合えたのは、今を生きる今の患者だけ。
 後追い禁物、チャンスの神様には前髪しかありません。
 だから力を合わせてガッチリ掴まえ、一緒に未来を見つめましょう。
会長 橋本 操」(p0)

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※
 「現在では多くの人が遺伝子医療技術や胚性幹細胞(ES細胞)を用いた再生医療技術に期待している。
【92】 ALSになった眼科医の文章から。《ALSの患者の心には、医師に対する不信感が垣間見えます。なぜなら、治してもらえないことを知っているからです。/私たちの切実な願いは一つ。「抜本的な治療法の確立」です。例えば神経幹細胞の移植が可能になれば、ALSを治せるかもしれません。》(渡辺[2003:343-344]。初出は『山形新聞』二〇〇一年一一月一五日)
 遺伝子医療の可能性に関わるような発見の報道も時々なされる。例えば二〇〇一年一〇月、原因となる遺伝子の一つを東海大学などの研� ��グループが発見したと報じられた(『JALSA』54:35に「ALS原因遺伝子を特定」という見出しで新聞記事の紹介)。これはALSのごく一部を占める子どもの頃に発症する劣性遺伝型のALSについての発見で、それを伝えない報道もあったから誤解も生じさせた★01。だが誤解の分は差し引いても、遺伝子の解明は期待を抱かせる。医学者もそれを言う。
【93】 《近年、生命科学は大きな進歩を遂げ、遺伝子治療や幹細胞移植などの研究・技術進歩にはめざましいものがある。こうした生命科学の進歩がALSという病気を完全に治療可能な病気にする日がやがて来るものと信じている。》(石垣・祖父江[2003:59])  基礎的な研究へのALSの人の協力が要請される。よく読むと、正しく控え目な――つまりすぐに治療法の発見につながるというわけではないという――見込みが語られる。
【94】 《理論的に考えても、一〇〇〇人の患者さんに協力して戴ければ、ALSになる危険を二倍高める要因を見つけることが可能になってきています。》(東京大学ヒトゲノム解析センター長・中村祐輔[2003b:10]――二〇〇三年五月の日本ALS協会総会での講演。なお協会に要請され寄稿した文章に中村[2003a])
 ALSの人の多くは当初から積極的だった。二〇〇三年、日本ALS協会は中村の要請を受け、ヒトゲノム解析プロジェクトへの協力を決めた(『JALSA』58)。協力者は協力病院または自宅で一四tの血液を採取して提供する。当初百名のサンプルで解析を進� ��、ある程度解析内容を絞り込んだ段階で千名のサンプルを解析するという。このプロジェクトへの期待は強く、ALSの人によって協力の意志が表明され、協力が呼びかけられる(佐々木[2000-a(124)(125)]等々)。一〇五名が先行して採血に応じ、さらに二〇〇三年秋、六一〇名が希望し一二月から採血が開始された(『JALSA』61)。」

◆2010/01/11 「京都大病院が「iPS細胞・再生医学研究会」設立」
 『読売新聞』2010-01-11

 「15日午後5時30分〜7時15分、芝蘭会館(京大医学部内)。様々な細胞に変化するiPS細胞(新型万能細胞)による再生医療の基礎研究が進む中、今後、実際の治療に応用するには、臨床医も常に最新情報に触れておく必要があることから新設。臨床応用に向けた研究の現状や課題を学� �。代表世話人に中村孝志病院長が就任し、年2回の開催を予定している。
 初会合となる15日は、iPS細胞を用いた筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症の研究発表や、安全性向上に関する講演などを行う。参加費1000円。定員230人(先着順)。問い合わせは同病院総務課(075・751・3005)へ。
(2010年1月11日 読売新聞)」(全文)

◆2010/01/24 「ALS:治療法開発へ、力合わせよう 協会県支部、県西部で初の集い /島根」
 『毎日新聞』2010-01-24

 「筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)(ALS)の患者や家族でつくる「日本ALS協会島根県支部」が24日、県西部で初めての「患者・家族の集い」を益田市昭和町の益田保健所で開いた。患者の家族や友人、保健所の職員ら約15人が出席した。
 ALSは全身の運動神経細胞だけが侵される原因不明の神経難病で、進行すると体を動かすことや話すこと、自発呼吸などができなくなる。同支部は昨年、設立10周年を迎えたが、これまでに県西部で患者や家族の交流会が開かれたことはなかった。
 支部長の松浦弥生さんの夫和敏さん(77)が「一日も早い治療法の開発に向け、みんなで力を合わせてがんばっていきたい」とあいさつ。患者の介 護を続ける家族が現状などを報告した。
 家族は県西部でALS患者を受け入れる医療機関が少ないという不安や「365日ずっと見ていないといけない」「人工呼吸器を付けているので意思疎通が難しい」など介護の課題を訴えた。そして現状改善のため、介護ボランティアの募集や病気を知ってもらう工夫などを提案し合った。【御園生枝里】」(全文)

◆2010/02/06 「再生医療実現へ、iPS細胞「バンク」不可欠」
 『神戸新聞』2010-02-06

 「再生医療の実現に向けた「切り札」として期待される、ヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)の作製技術を開発した山中伸弥(しんや)・京都大教授がこのほど、大阪市内で開かれた市民向けのイベント「再生医学と脳科学の最前線」(大阪バイオサイエンス研究所など� ��主催)で講演した。同細胞の活用法や、自身が提唱している「iPS細胞バンク」などについて解説。同バンクをめぐっては「5年以内に完成させたい」と目標を掲げた。(武藤邦生)
 1987年に神戸大医学部を卒業した山中教授は2007年、ヒトの皮膚細胞に、特殊なウイルスを使って四つの遺伝子を組み込み培養する方法で、iPS細胞の開発に成功し発表。この功績から、ノーベル賞に最も近い研究者の一人ともされる。

□数々のデータ

 同細胞は、手を加えることで、身体のどの細胞にも変化できる能力と、ほぼ無限の増殖能力を持ち、再生医療を実現するのに極めて重要視されている。
 演壇に立った山中教授は「iPS細胞を使えば、神経や心臓などの細胞を大量に作ることができ、(損傷を受けた� �官の細胞を作って移植する)再生医療の可能性が広がる」と説明。マウスによる実験では既に、再生医療での治療効果を示す数々のデータが出ていることにも触れた。
 また、同バンクについて「ボランティアのドナーから皮膚細胞の提供を受け、あらかじめiPS細胞を作製、管理しておく」と解説。患者に素早く移植するために不可欠なシステムであることを示した。
 一方、iPS細胞バンクを用いる方法では、他人の細胞を移植することから、患者に拒絶反応が起こるという問題点も指摘。細胞の"血液型"に当たるHLA型の適合が必要となる。「数万種類以上ある全HLA型のiPS細胞をバンクにそろえるのは非現実的だが、特定の型を持つ50人(種類)の皮膚細胞を集めれば、9割の日本人に対応できる」と力� �込めた。

□治療薬開発も

 再生医療以外で期待されるのが、病気の原因解明や治療薬開発などの分野。その一つが、運動神経細胞に異常が起こり、筋肉の萎(い)縮(しゅく)や筋力低下が急速に進む「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の研究だ。
 この点についても、山中教授は「患者から、異常を起こしている運動神経細胞を採取して研究するのは難しく、治療法は長らく進展がなかった。しかしiPS細胞の技術によって、患者の皮膚細胞から、運動神経細胞を作ることが可能になり、世界中の研究機関で、ALSの原因の解明や治療薬の探索が進められている」と披露した。
 再生医療 病気やけがなどによって失われた臓器や組織を再生し、機能を回復するための治療で、実現が急がれている。完全な機能の再 現が難しい人工臓器やドナーの数に限りのある臓器移植の問題点を克服できると期待される。さまざまな手法が考えられているが、神経、心臓、血液などさまざまな細胞を作ることができる技術としてiPS細胞が特に注目されている。

【写真説明】「iPS細胞は世界中で研究されており、競争も激しい」。展望について述べる山中伸弥・京都大教授=大阪市内」(全文)

◆2010/03/06 「神経難病:解明へ、寄付講座を開設――信大医学部 /長野」
 『毎日新聞』2010-03-06

 「神経難病:解明へ、寄付講座を開設――信大医学部 /長野
 信州大医学部(久保恵嗣部長)は5日、4月1日に神経難病の原因や病態の解明を目的とした寄付講座を開設すると発表した。キッセイ薬品工業(松本市芳野、神沢陸雄社長)が5年間に総額1億6000万円を寄付するという。久保部長は「治療薬の開発も目指していく。産学連携で全面的に協力していきたい」と話した。信大の寄付講座は7件目。
 同講座の責任者となる信大の池田修一教授(内科学)によると、研究対象にする難病は主に脊髄(せきずい)小脳失調症(SCA)と筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)。SCAは体のバランスが取れなくなり歩行が困難に、ALSは全身の筋肉の神経細胞が 弱り歩行や呼吸不全になる疾患。両方ともに原因が不明で、効果的な治療薬が無いという。07年度の調査で県内には、関連する疾患も合わせて約2760人の患者がいるという。
 同社の御子柴今雄・開発本部長は「新薬開発に向けて企業の動物実験だけでは無理があり、大学と協力することは有利だ」と期待を込める。【渡辺諒】」(全文)

◆2010/03/19 「「5年以内にiPSバンクを」=山中教授、再生医療学会で―広島」
 『時事通信』2010-03-19

 「「5年以内にiPSバンクを」=山中教授、再生医療学会で―広島
 あらゆる細胞を作ることができる「人工多能性幹(iPS)細胞」を世界で初めて開発した山中伸弥京都大教授は19日、広島市で開かれた日本再生医療学会で講演し、将来iPS細胞を治療� �使うため、あらかじめ細胞を準備しておくiPSバンクを「5年以内に完成させたい」と述べた。
 iPS細胞は、皮膚などの細胞に特定の遺伝子を導入して「初期化」した万能細胞。目的の細胞に作り替えれば、再生医療に応用できる。患者自身の細胞を使えば移植しても拒絶反応が起きないが、がんになる危険性があり、山中教授は「いかに安全なiPS細胞を見分けるかが課題。安全性を慎重に検討する必要がある」と述べた。
 その上で、「iPS細胞の作製には時間と費用が掛かる。脊椎(せきつい)損傷では、けがから10日以内に移植しないと効果がなく、iPSバンクを作るべきだ」と訴えた。50種類のiPS細胞があれば、日本人の9割に対応できるという。
 また、山中教授は10年後の達成目標として 基盤技術の確立や臨床試験の実施、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)の治療薬開発などを挙げた。(2010/03/19-18:28)」(全文)

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■民間療法

 さまざまな療法がためされている。その中にはいわゆる西洋近代医学ではない医療、民間療法がある。漢方。

 ◆本田 昌義 19991121 「療友達の為に行動を起こそうと決意した時に自分の道が開けました。」
 「発症以来今日迄、一日も欠かす事も無く「明日目が覚めれば、病気は治っているかもしれない。或いは何か奇跡が起きて突然に病気が完治するかもしれない。」と、無駄な夢を毎日みて過ごしています。だから、ALS患者のみならす難病患者には「もしかして…」と云う気が働いて、民間療法をこころみる人が多い所以であるかと思います。」

 ◆「俗に民間療法と呼ばれるものもいくつか試みたことがあった。/その一つが、アーク(?)とかいう、放電で生ずるスパーク光と熱を患部に当てて治療する方法であった。[…]/新聞で知った鍼治療院も訪ねてみた。[…]/岡山にいる知人からは「難病を治してくれるという評判の� �師がいる」と教えてもらったので、新幹線に飛び乗り岡山まで出かけたこともある。[…](p.27)/[…]兄から、どんな病気でも治す不思議な力が備わっている姉妹がいるとい話が持ち込まれた。[…]
 仕事がらたくさんの人と出会い、相手の心を読むことを生業にしてきたからだと思うが、平常心さえ失わなければ、相手の意図が透けるように見えることがある。当初の期待が大きかっただけに、冷めるのも早かった。/ただ、彼女たちの行為が詐欺まがいだと断定しきれないのは、科学的には説明の付かない何らかの能力を持っている可能性があることまでは否定しきれなかったからだ。しかしその能力が私の病気に有効だったかといえば「ノー」といわざるを得ない。かなりの頻度で治療を受けいたにもかかわらず、病気は 確実に進行していき、やりきれない気持ちと虚しさだけが積み重なっていった。」(pp.27-28])
 ◆西尾 健弥 「私は,7年余り前に身体に異常を感じました。当時の年齢は49歳でした。それであちこちの病院を転々とするうちに希に見る難病と診断されたのです。この間、私の場合は右足から麻痺が始まったので、腰椎のヘルニアに間違えられて手術を受けました。効果のあることを期待しましたが当然ありませでした。そして、整体、気功、針などの民間療法もやってみましたが、気休めでした。身体に異常を感じてから4年で全身麻痺になり,呼吸困難に陥り,食事も飲み込めなくなったので,国立石川病院に1年8カ月入院の末,昨年8月から在宅療養しています。」
 いまのところ、実際になおったという方法はない。ただそれによって、自らを、そしてみなを鼓舞することはある。

▽「原因の解明されていない現在、適� ��な治療法は存在しないし、今日まであらゆる試行錯誤を重ねた治療法にも確実に有効といえるものはなかった。従って藁をもつかみたい患者や家族が、特異な(p.215)宗教、民間療法に貴重な財産、時間、労力を費すことに異義をとなえる資格は医師にはない。しかしある根拠に基づく仮説を立て、疾患の回復、進行の停止、あるいは少しでも進行を遅らせる目的の研究と試行は、世界的規模で日夜続けられている。」(永松[1998:215-216])

 [◆]長尾 「◇民間療法に大金
 九月末、美津子も徳大の医師から告知を受けた。「よりによって、お父さんがそんな病気にかかるはずがない」。美津子も診断が信用できなかった。親類に相談すると、ALS関連の診療では奈良県内の医大が有名だという。すぐ二人で訪れたが、病名 が変わることはなかった。
 同じ重い病気でも、がんなどの一般的な病気なら、自分たちがどんな状況に置かれたのか理解もできただろう。ところが、名前を聞いたことさえなかったALS、何がどうなるのか全く分からない。二人は途方に暮れた。
 今動いている手足がやがてなえてしまうとはとても考えられなかったし、病気が治らないなど思いたくもなかった。「医者は絶望的なことを言うが、何か方法があるんじゃないか」
 占いでは「春には治る」と出た。あやしげな気功師に金を貢いだ。手足を温める器械を法外な値段で買わされ、土地が悪いと言われては安値で売り払った。何にでも効くというワクチンを購入するため東京に飛ぶ。居間には新興宗教の祭壇が鎮座…。民間療法につぎ込んだ金は百万円をはるかに� ��える。
 治療法がないとされる病を、現実のものとして受け入れるのは簡単なことではない。わずかでも光が見えればと、正体の知れないものにもすがりついた。「ばかなことを、と思われるでしょうがね」と美津子は振り返る。(敬称略)


どのようにiはl脊椎MRIを読んでいない

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※
「3 民間療法、他
 様々な療法が試されるのだが、その中にはいわゆる西洋近代医学ではない医療、民間医療、民間療法もある(民間医療の現在についての本に佐藤純一編[2000])。
【95】 本田昌義(大分県)。《発症以来今日迄、一日も欠かす事も無く「明日目が覚めれば、病気は治っているかもしれない。或いは何か奇跡が起きて突然に病気が完治するかもしれない。」と、無駄な夢を毎日みて過ごしています。だから、ALS患者のみならず難病患者には「もしかして…」と云う気が働いて、民間療法をこころみる人が多い所以であるかと思います。》(本田[1999])
【96】 一九八六年頃、東御� �田郁夫[50]。《俗に民間療法と呼ばれるものもいくつか試みたことがあった。/その一つが、アーク(?)とかいう、放電で生ずるスパーク光と熱を患部に当てて治療する方法であった。[…]/新聞で知った鍼治療院も訪ねてみた。[…]/岡山にいる知人からは「難病を治してくれるという評判の灸師がいる」と教えてもらったので、新幹線に飛び乗り岡山まで出かけたこともある。[…]/[…]兄から、どんな病気でも治す不思議な力が備わっている姉妹がいるという話が持ち込まれた。[…]仕事がらたくさんの人と出会い、相手の心を読むことを生業にしてきたからだと思うが、平常心さえ失わなければ、相手の意図が透けるように見えることがある。当初の期待が大きかっただけに、冷めるのも早かった。/ただ、彼女た� ��の行為が詐欺まがいだと断定しきれないのは、科学的には説明の付かない何らかの能力を持っている可能性があることまでは否定しきれなかったからだ。しかしその能力が私の病気に有効だったかといえば「ノー」といわざるを得ない。かなりの頻度で治療を受けていたにもかかわらず、病気は確実に進行していき、やりきれない気持ちと虚しさだけが積み重なっていった。》(東御建田[1998:27-28])
【97】 長尾義明[60]。《今動いている手足がやがてなえてしまうとはとても考えられなかったし、病気が治らないなど思いたくもなかった。「医者は絶望的なことを言うが、何か方法があるんじゃないか」/占いでは「春には治る」と出た。あやしげな気功師に金を貢いだ。手足を温める器械を法外な値段で買わされ、土地が悪い� ��言われては安値で売り払った。何にでも効くというワクチンを購入するため東京に飛ぶ。居間には新興宗教の祭壇が鎮座…。民間療法につぎ込んだ金は百万円をはるかに超える。/治療法がないとされる病を、現実のものとして受け入れるのは簡単なことではない。わずかでも光が見えればと、正体の知れないものにもすがりついた。「ばかなことを、と思われるでしょうがね」と美津子は振り返る。》(『徳島新聞』[2000])
【98】 西尾健弥[65][71]、一九九七年。《私は、七年余り前に身体に異常を感じました。当時の年齢は四九歳でした。それであちこちの病院を転々とするうちに希に見る難病と診断されたのです。この間、私の場合は右足から麻痺が始まったので、腰椎のヘルニアに間違えられて手術を受けました。効果� ��あることを期待しましたが当然ありませんでした。そして、整体、気功、針などの民間療法もやってみましたが、気休めでした。身体に異常を感じてから四年で全身麻痺になり、呼吸困難に陥り、食事も飲み込めなくなったので、国立石川病院に一年八カ月入院の末、昨年八月から在宅療養しています。》(西尾[1997])
【99】 《針とか灸とか漢方薬など東洋医学と称するものから宗教まで、実に様々な勧めを受けた。もちろん、もしかしたら治るかもしれないという微かな期待を抱いていったのだが、数か月後にはそれが幻想であることを病の進行が教えてくれるのだった。/東洋医学と称する先生方はどこでも同じような二つのことを言われた。一つは「体の機能が元どおりになることは確約できないけれど、少なくとも現状維 持は可能と思う」[…]もう一つは[…]迷って訪ねた東洋医学の先生方は、そろって腰にメスを入れる必要はなかったのではと、あたかもそれが原因であるかのように同じ言葉を聞かされた。その都度疑いを深め、安易に医師に任せて手術に同意した自分を責め、そして悔やんだ。》(八木[1988]。乙坂[1996-1997:(2)30-32]に掲載)
 二番目の方は、発病の三年前にカリエスの疑いで開腹したがその兆候はなかったという経験に関わる。東京都に住んでいた八木は、「体に触れて治療を受ける方が、もしかしたら治るかもしれないという期待がもてるように感じられ」、冬の三か月を金沢郊外の整骨院で過ごし、好転の兆しなく、家に帰ることになる。
 「近代医学」でない人たちもまた、いかにもその人たちが言いそうなことを� �う。そして近代医学と呼びうる中にも様々あり、その中にも正統・正当なものとそうでないとあるのだが、その境界はときに定かではない。以下は静山社(↓第7章4節)刊行の本から。その中で、著者は最後までその療法に肯定的、というのは正確でなく、効果の現れないことや不調を各所で記しながら、最後は肯定的である。
【100】 愛知県で看護師をしていた山田徳子は一九八六年に発症。一九八九年、『奇跡のがん療法』という本を読み横浜サトウクリニックの院長・佐藤一英に手紙を出す。三月九日《今夕、先生自らお電話をいただいた。「効くから、できるだけ早く来るように」とのこと。/私にとってのラストチャンスに賭けてみたい。[…]「寝たきり」でなく、二本の脚で立ち、「人」として生きるためのラストチャ� �スなのだ。》(山田[1989:58])  名古屋から横浜に通って、「免疫療法」を受けはじめる。三月二三日《精製されたリンパ球が一〇〇tほど注射された」([:59])。六月一日《二回目のリンパ球を受けてから、体調があまりよくない。かえって病気を進めたようにさえ感じる。暗中模索、未踏の第一歩を踏みこんだところだから、いろいろなことが起こって当たり前だろう。》([:75])。七月一三日、第三回《二回目の苦しかった脱力も、「免疫療法の通る途だから」と先生に言われた。この療法がどこまで効果があるのか、今のところ誰にもわからない未知の世界だと思う。初めから、駄目でもともとと思って、自分のALSに対する考え方を試してみたかったのだ。たとえこの療法を手がけたことにより、生きる時間が短縮したとしても、消極的に死を待つよりはるか に意義深いことであり、充実している。》([:84])。九月一八日《横浜へ行く。今回は連絡が思わなくなく、リンパ球体が間に合わなかった。代わりにグロブリン製剤を注射していただいた。先生の自信に満ちたお話は勇気づけられた。》([:99])。一〇月五日《四回目の免疫療法の後、脱力の度合いはいつものように軽くなった。機能の方は容赦なく減退していく。》([:102])。一一月三〇日、五回目([:121])。九〇年一月三〇日、六回目([:141])。三月三〇日、七回目《今日は記念すべき日である。免疫療法で、学問的には治療の効果が実証された、と先生が言われた。自分の体が今一つはっきりせず、明らかな進行の停止が認めらないため、両手をあげて"万歳三唱"と喜ぶわけにはいかないが、朗報には違いない。何� ��も不治という名の下に甘んじてきたのだから。変性した神経細胞は再生が困難というより、不可能とされている。だが、生体の限りない神秘を経験している今、これも可能な範囲だと考えられる。》([:156-157])
【101】 その横浜サトウクリニック院長の佐藤一英が、山田の著書の「序文にかえて」を書いている。最初のやりとりの部分など、山田の記述とまったく整合しない部分があるが、それが一冊の本に載っている。《山田徳子さんのことを、ご主人より相談されました。「よし、やってみよう」と返事はしたものの、その効果についてはまったく予測しえないことでした。/しかし、一回、二回と二か月ごとに注射していくにつれ、症状が改善され、免疫グロブリンの正常化へと変化していくことがわかりました。》(佐藤� ��1989:1-2])  この人は亡くなったが、「佐藤免疫療法友の会「一英会」」は存続していてホームページがある(
【102】 国立療養所神経筋難病研究グループのホームページ「神経筋難病情報サービス」では次のように記されている。《筋萎縮性側索硬化症の原因[…]/自己免疫性説/運動神経を攻撃し、変性壊死を生じる自己抗体が出来ているという説です。ALSの患者の一部で、単一クローン性高ガンマグロブリン血症を伴うものがあることと、動物実験による成績から提唱されていますが、通常、自己免疫性疾患に対して極めて有効なステロイド療法、免疫グロブリン療法ではALSの進行を止めることは出来ません。》(国立療養所神経難病研究グループ[1996-])」(立岩[2004])

◆山田徳子は一九八六年に発症、一九八九年、『 奇跡のがん療法』という本を読み横浜サトウクリニックの院長・佐藤一英に手紙を出す。三月九日「今夕、先生自らお電話をいただいた。「効くから、できるだけ早く来るように」とのこと。/私にとってのラストチャンスに賭けてみたい。[…]「寝たきり」でなく、二本の脚で立ち、「人」として生きるためのラストチャンスなのだ。」(58)名古屋から横浜に通って、「免疫療法」を受け始める。三月二三日「精製されたリンパ球が一〇〇ccほど注射された」(59)。六月一日「二回目のリンパ球を受けてから、体調があまりよくない。かえって病気を進めたようにさえ感じる。暗中模索、未踏の第一歩を踏みこんだところだから、いろいろなことが起こって当たり前だろう。」(75)七月一三日、第三回。「二回目の苦しかった脱力� �、「免疫療法の通る途だから」と先生に言われた。この療法がどこまで効果があるのか、今のところ誰にてもわからない未知の世界だと思う。初めから、駄目でもともとと思って、自分のALSに対する考え方を試してみたかったのだ。たとえこの療法を手がけたことにより、生きる時間が短縮したとしても、消極的に死を待つよりはるかに意義深いことであり、充実している。」(84)九月十八日「横浜へ行く。今回は連絡が思わなくなく、リンパ球体が間に合わなかった。代わりにグロブリン製剤を注射していただいた。先生の自信に満ちたお話は勇気づけられた。」(99)一〇月五日「四回目の免疫療法の後、脱力の度合いはいつものように軽くなった。機能の方は容赦なく減退していく。」(102)十一月三十日、五回目(121)。九� �年一月三〇日、六回目(141)。三月三十日、七回目。「今日は記念すべき日である。免疫療法で、学問的には治療の効果が実証された、と先生が言われた。自分の体が今一つはっきりせず、明らかな進行の停止が認めらないため、両手をあげて"万歳三唱"と喜ぶわけにはいかないが、朗報には違いない。何年も不治という名の下に甘んじてきたのだから。変性した神経細胞は再生が困難というより、不可能とされている。だが、生体の限りない神秘を経験している今、これも可能な範囲だと考えられる。」(山田[1989:156-157])

◆国立療養所神経難病研究グループ 1996- 『神経難病情報サービス』
 →「ALS」→「筋萎縮性側索硬化症の原因は何ですか?」

「筋萎縮性側索硬化症の原因
 自己免疫性説

運動神経 を攻撃し、変性壊死を生じる自己抗体が出来ているという説です。ALSの患者の一部で、単一クローン性高ガンマグロブリン血症を伴うものがあることと、動物実験による成績から提唱されていますが、通常、 自己免疫性疾患に対して極めて有効なステロイド療法、免疫グロブリン療法ではALSの進行を止めることは出来ません。」

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「4 引き換えに直接に払うもの

 これまでを振り返ると、原因が解明され、治療法が開発されるだろうと言われつづけたが、その予想は外れてきた。その限りではALSの人たちが得たものはない。ただ、その可能性があることで希望が得られ、それが生きていく糧になったとしたら、意味があったと言ってよいはずだ。可能性があり、その実現に向けて進んでいることを知ることで、自らを、そしてみなを鼓舞することはある。私たちは、実現しなかった希望、まだ実現しない希望全般に意味がないとは思っていない。
 ただ、なおった方がよいがまだその方法は見出されていないと いうだけでなく、この状態にALSがあることに関わり、ALSの人たちと医療との関係に関わって、三つほどのことが起こっている。そしてその三つは、いずれもALSの人たちが暮らしていくのによいことではない。
 第一に、直接の支払いについて。結果として効かなくとも、少なくとも一時の希望が得られるものにはみな価値があり、その限りでは民間療法であれなんであれみな等価だということになるだろうか。私を含め非正統的とされるものの肩をもってしまいがちな人は、こうした態度に親近感をもつ。ただ、どのような療法であっても正と負の面があり、効果に比して支払うものが大きいことがある。
 負のものはまず薬剤等の副作用である。わかっていてあえて使用することもあるが、予測されない作用が出る場合があり、予 期しうるのに本人に知らされない場合もある。ALSの場合には副作用で重篤な状態になった人がいることが報じられたことはないが、他の病気では副作用で状態を悪化させたり命を失うこともある。そして、医療保険で支払われることもあるにせよ、費用がかかる。さらには本人は時間を費やし、治療を受ける時は他の場にいることができない★02。そして結局うまくいかなければ、失望がある。
 だから、ひとときの希望でも与えるものであればそれでよいとは言えない。効果がある見込みがないことがわかっていて、それを隠して提供し、そこから利益を得るなら、それは不当な行いだとされるだろう。医療者・医学者の側にも、非正統的医療に対する自らの優位は現状において存在しないことを認めながら、しかし詐欺師に比べれば 真面目にやっていると思う人たちがいて当然ではある。
【103】 永松啓爾(大分県立病院院長)。《原因の解明されていない現在、適確な治療法は存在しないし、今日まであらゆる試行錯誤を重ねた治療法にも確実に有効といえるものはなかった。従って藁をもつかみたい患者や家族が、特異な宗教、民間療法に貴重な財産、時間、労力を費すことに異義をとなえる資格は医師にはない。しかしある根拠に基づく仮説を立て、疾患の回復、進行の停止、あるいは少しでも進行を遅らせる目的の研究と試行は、世界的規模で日夜続けられている。》(永松[1998:215-216])
 ALSの場合、なおって得るものがとても大きいと感じられるために、支払い失うものは相対的に小さく見られることになる。さらに結果として得られるものがまだな くとも、その希望のある間は、希望があること自体がよいことである。これらはみな当然のことだと私は思う。
 けれども一つには、ALSであるままで得られるものが――もっと多くできるのに、この社会の出来具合のために――少なくされていて、その分なおることの価値が高くされ、そのために、なおるために支払ってもよい代償も高くなってしまうことがある。つまり、なおらない状態での暮らしが困難である分なおることへの期待が大きくなり、なおるために払う(が今のところその結果は得られない)支払いも大きくなってしまう。
 そしてその暮らしの困難は、今のところ医療によって除去することはできないが、社会の側で別の手立てをとれば軽減することはできる。できるのに実際にはなされておらず、困難は減らず 、それで支払いも大きくなる。なくてすむ支払いは少ない方がよいのだから、この状態はよいことではない。

5 なおすための空間になおらない人がいること


 第二に、なおすための空間になおらない人がいることによって、その人はよく生きていくことができなくなることがある。
 医療者に限らず、命を救ってしまおうとすることはあり、何かを止めたら死んでしまうだろう時にそれを止めるのをためらうことはある。そして医療者はそうした場面に立ち合うことが多く、また命を救うのが仕事とされている。例えば、救急車で運ばれた意識をなくしている人に救命のための処置をする。それは義務であるともされる。しかし人を救おうとする一般的な性向や、一般的に医療が果たすべき職務としての救命や生命の維持という契機を別にすれば、医療が積極的に関わろうとするのは、一つには収益に結びつく場合、少なくとも経営に資する場� �であり、一つにはなおせる可能性のある場合であり、どちらでもないときには違ってくる。
 収益の有無、多寡はその時々の制度のあり方に左右される。例えば比較的経費をかけずに病院に留め置くことができ、医療保険等からの収入が経費を上回るなら、その人を病院に引き止めておくことは経営上は有利なことがある。他方で受け入れることが損失につながる場合には受け入れられにくい。病院の側はことさらに利益を志向していなくとも、経営は維持せねばならないから、その人は歓迎されない。それで入院を断られるか、転院・退院を促される。
 病院に入院しつづけざるをえないことも、入院できずまた退院せざるをえないことも、社会が設定した条件によるのだから、医療・医療者だけにその責を帰せられることでは� �い。ただ、ALSの人の場合には、制度が変わっていくらかは事態はよくなっているはずである[457]。だから病院経営上の問題だけがあるのではない。
 ALSはやがてなおる病気になるだろう。だが今のところは原因不明であり不治である。だから少数の研究者にとってはその研究の対象となるが、それ以外の医療者にとっては、日々の身体の状態の維持のために必要なこと以外にすることはそうない。なおすことにその仕事の価値を見出しているなら、なおせない人から価値を受け取ることができない。身体を楽な状態に保つことはALSの本人にとってはとても大切なことだが、医療の側の関心を引くことではない。
【104】 《医学生の中には、こんな面倒な病気には何をしても無駄だと悲観的になり、腫れものに触るような反応を起� �すものと、何とかして治療法を見つけたいと理想に燃えるタイプがあるが、後者も医師となって時がたつにつれ、理想もしぼんでいく。》(八瀬[1991:15])
 なおすことが仕事であり仕事の価値であるなら、なおらないことは無価値であったり価値の否定でありうる。そこから「意味のない延命」という言葉までの距離は比較的近い。[316]に引用する文中には、「学会の権威者」が「ALSには人工呼吸器をつけるべきでない。なぜなら不治の病であるから」と言ったとある。緊急事態への対応として呼吸器を付けてしまうことがあるが、それは、なおらないから、望ましくないと考えられる。そして、死の方に向けて積極的に何かするのでなく、死にゆくのを見守っていさえすればよいのであればそれほど抵抗感はないかもしれない。 いったん呼吸器を付けたら外すことかできないから、冷静に反省的に考えるなら呼吸器を付けない方がよい、本人にそのように決める時間を与えようと言う人がいる。
【105】 第6章で紹介する鈴木千秋の本の中に次のような箇所がある。一九七五年。《学友森医師から、「この病気は放置すれば自然窒息か肺炎併発を待つことになるが、それは最も残酷だ。今の状態では気管切開し、栄養は鼻腔注入をすすめる」といわれたが、この日、主治医藤沢医師に伺うと、全く反対の意見を述べられた。/「目の前で窒息状態を見せられれば、無意識に手が動いて気管切開を行なってしまう。しかし冷静に考えればこれはすべきではない。[…]自然悪化に委ねるほかはない。気切手術はこのような老人にはショッキングにすぎるし、声は完全� ��出なくなる。たとえそれによって呼吸が楽になっても死期は目前にある。》(鈴木[1978:101])
 医療者はなおすことが仕事である人たちであり、なおらないことに肯定的になれない。
【106】 医者は《治療と成功を好む。自分が有能でないと見られるのは好まない。しかし、障害を持つ患者や慢性的な病人はそれこそ自分の無能の証明である。患者は医者が心理的に距離を置いているのを当然感じる。患者は孤立感を味わう。病院で過ごしたことがある障害者は誰でも経験している。医者から受けるやさしい軽蔑にはほとんど敵意に近いものすらある。》(Gallagher[1995=1996:353]。立岩[2005]で紹介)
【107】 《医者を救済者とみようとする理想主義は、速やかに患者に対する攻撃的な感情に変わってしまい、ついにはラデ� �カルな「最終的」処方を求めるようになる。》(Pross & Gotz eds.[1989=1993:5]。立岩[2005]で紹介)
 そんなことはない、それは言いがかりだと反論する医師もいるだろう。反論する人は真面目な人たちだから、その反論はその人自身に即すれば当たっているだろう。また、右の引用はドイツのナチス政権の時代になされた病者・障害者の安楽死(むしろ明白な殺人、立岩[1997b:236-237,263-265])やその時期の医師たちの行動について記した本からだが、そうした悪行を行なった者たちと自分たちは同列に扱われたくないと思うのも当然のことだ。ただそれでも、こうした傾向があることは否定できない。
 次に、同時に、医療の場はなおらず亡くなることが多く起こる場であり、それが日常の出来事である場でもある。それで、その場で働く人たちはなおらないことや死ぬことに慣れていて、 それらに耐性がある★03。
 慣れていること自体はその仕事をする人にとって必要なことでもある。慣れていなければ、いちいち大きな衝撃を受けてしまい、それでは身がもたない。だからこのこと自体をそう責めるわけにはいかない。また、利用者の側からも必要とされることがある。狼狽したり興奮したりしている者たちがいる中で、一定の距離を保ち、ことを円滑に進める役を担う人も必要なことがある。葬儀屋が死者の死を悲しまないことを、たんたんと仕事を進めてくれる人を必要としている私たちは責めたりはしない。
 ただ、そうした人に裁量が任されるなら、困ることが生じてしまうことがあることを、これからいくつかの場面で見る。それはまず、知らせること、知らせないこと、そのあり方に関わってくる。病� ��ではやっかいなことが起こりすぎるのだが、そこで働く人たちはそのことに慣れてもいるし、慣れないとやっていけないのでもある。知らせたり知らせなかったするそのあり方もこのことに影響されるだろう。そして次に、人が死ぬことについて感じることを少なくせざるをえない人、摩耗し感じることが少なくなってしまった人は、死んだこと、死んでいくことを、慣れていない人に比較すれば、容易に受け入れるかもしれない。この人たちに任せられると、より多く人は死の方に引き寄せられることがある。
 以上を乱暴に短く繰り返すと、医療者は、なおらないことに否定的であり、同時に、なおらないで死んでいくことには慣れてもいるということだ。そして社会はそのような場に、(少なくとも今のところは)なおらない人 を置いておく。その環境はその人が生きて暮らしていくのに快適なものではない。

6 なおらない間にすべきことができないこと


 第三に、もっぱらなおることに関心が向かう時、また医療(加えるに、いわゆるリハビリテーション、看護)という資源だけに頼らざるをえない間、ALSの人たちは、なおらないことを前提にとりあえずしたらよいこと、またすべきことがうまくできず、うまく生きることができないことがある。
 技術による解決が望まれるが、その方法は今のところ見出されていない。いずれたしかな方法が見出されるとして、それには相当の時間はかかるだろう。だから、見出されるまでの間は、それはそれとして、ないものはないとしてやっていくしかない。なおらないままで生きていくための方策をとるしかない。だがそのようになかなか事態は推移してこなかった。図式的に言えば、障害者で(� ��)ある現実に対する力がもっと強くなってよいのに、病者という枠組によってなかなか強くならなかった。
 ALSは障害なのか病気なのか。ALSの人は病者なのか障害者なのか。むろん、言葉は様々な意味に使うことができ、それぞれの言葉が示す範囲を変更することができるから、それによって答は変わってくる。ただ一般に、病は健康と対比されるものであり、苦しかったり気持ちが悪かったりする。また死んでしまうこともあり、よからぬものとされる。また障害とは、身体の状態に関わって不便であったり不都合であったりすることがあるということだ。病によって障害を得ることはあるから、両方を兼ねることはある。ALSは病気ではある。そして同時に機能障害が生ずる。ALSの人たちは同時に、病人・病者でもあり障害者である� �たちだ。答としてはまずはこれでよい。
 そして制度との関係でもALSの人たちは両方である。まずALSは「難病」である。この難病という言葉自体が行政的な呼称でもある。一九七二年に「特定疾患治療研究事業」が開始され、「厚生省特定疾患」に指定された病気(これが行政用語としての「難病」ということになる★04)については、政策として研究を推進することになり、症例を研究に生かすという趣旨で、医療費の補助がなされてきた。特定疾患に指定されている病気にかかった人には保健所に申請すると「特定疾患医療受給者証」が交付される。
 そして同時に、ALSにかかると身体の様々なところが動かなくなる。そこでこちらは福祉事務所か役所の担当の課に申請し判定を受け、「身体障害者手帳」を交付されて、障害者 ということになる。
 ただ、人によって、どちらを強調するか、受け入れるかは同じでないようだ。患者という規定が先に来る人たちもいる。どうしてだろう。事故等で途中から障害者になる人たちもたくさんいるから、障害者である/ないは生まれつきの区分ではないのだが、それでも、障害者という言葉には、あらかじめ他の「一般人」と分けられた集団というイメージがあるのかもしれない。それに対して病気の方は、可能性としては誰もがなるものという意識があるのかもしれない。そして、病気については治療のしようがあるはずだ、本来は一時的なもののはずだという希望もまた込められているのかもしれない★05。
 他方、障害者でもあることが言われることもある。病者ではなく障害者だという言われ方もされる。< br/>【108】 《私は呼吸器を装着すれば、その時から患者は病人ではなくなると考えている。頭の働き・感覚は正常であり(寧ろ冴える)、吸引・経管注入・排便・体位交換・及び寝たきりによる痛い、痒い、だるい等々に二四時間極めて手のかかる身体障害者だと思う。/呼吸器を装着後ある時期を過ぎると、やがて長期安定状態に入っていく》(新田・新田[2003(1):83])
【109】 本田昌義[95]。《これは私の持論ですが、「ALSは病気ではない。唯、全身の運動神経が犯された障害者です。だから介助があれば何でも出来るのです。」と》(本田[2000:33])
【110】 橋本みさお[48]。《ALSは難病であると同時に最重度の障害者でもあるのですから、ハンディが多い分の努力が必要であると思いますし、障害者のニーズに対応す� �のは福祉行政の責務だと考えています。ALS患者が「社会に生きる」ためには、本人の自覚はもとより 「医療・福祉・行政」の協力が不可欠です。》(橋本[1998a])
《私は常に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者を、最重度の障害者であると捉えています。ハンディの大きい者が地域社会に生きるためには、応分の努力をすることは、至極当たり前のことで、その努力に応えることは社会の(行政の)責務と考えています。》(橋本[2001a])
【111】 《どうも私は、患者としての自覚に欠けるらしい。/師走に「街頭募金をしましょう」と、熊本事務局長に提案したところ、「街頭でなくても良いでしょう、まして患者さんが寒さの中屋外に出る必要はない」と、何ともつれないお返事でした。/しかし患者扱いされることのない� ��には、納得できるお返事ではありません。》(橋本[2000a:30])
【112】 《今回、私がこの場で、皆様の貴重なお時間をいただいた大きな理由は、「ALSは死病ではなく最重度の障害を伴う病である」と、伝えたかったからなのです。》(橋本[2000c]。デンマークでの国際会議(↓第11章4節)での発言)
 まず、病巣が拡大し病状が進行する、あるいは縮小し治癒するといった捉え方より、身体機能の低下、できないことの増加、また固定として捉える方がALSの現実に即しているという認識がある[108]。そして、できないことは補えばできる、そのために必要なものが必要だという主張になる[109][110]。
 また、医療・医療者が対応するのが病気であるともされるのだが、前節に述べたように、ALSの場合、医療はときに必� ��だが、医療の内部に囲いこまれてしまうとよいことにはならない。そんな思いもここにはあるかもしれない。他の障害のある人たちの中からも自分たちは病人ではないと言われることがある。それは、医療サービスを必要とするのではなく、ゆえに医療機関で医療者に管理される必要もないのだと言っている。このことはALSの人たちについても、いくらかは、言える。
 さらにALS協会の当時の事務局長に食ってかかっている橋本の言[111]には、おとなくしていればよいとされることに対する抵抗がある。社会学に「病人役割」という言葉がある。誰もが知っていることに名前をつけただけだから、誰が言ったかなどどうでもよいことだが、パーソンズという人が言ったことになっている(Parsons[1958][1964=1973]、その医療社会学� �ついて高城[2002])。
 病気の場合には、闘病すること、病気と闘うことはよしとして、それ以外の社会的責務が免除されることがあることが言われる。米国の人類学者が、良性骨髄腫瘍で全身が麻痺していく自らとその周囲の世界とをフィールドにして書いた著名な本には次のように紹介されている。
【113】 パーソンズの《論文は悲しいことにしちめんどうくさい学術用語で書かれているのだが、しかし何とか翻訳してみれば何のことはない、病気になったことがある者なら誰でも知っていることをいっているにすぎない。つまりこうだ。通常の社会的役割――母親、父親、弁護士、パン屋、学生等々――は、その人が病気になったとたんに効力を一時停止する。その人は"病人"という規定を受け、病気の軽重により通常の� ��務の一部、あるいは全部から解放される。/通常の義務の一時停止とはいっても、病人という役割を演じる者に義務が全くなくなってしまうということはない。いやむしろひとつの大きいやつを背負い込まされる。つまり、回復に向けて努力を惜しまないという義務だ。》(Murphy[198=1992:31-32])
 それで楽ができる時もあるのだが、それはその人が社会的行為者としては認められにくいということでもある。病人は黙っているものだとされてしまうと、何か言いたいことがある時には困る。もちろん、病人だからといってこの役割を担なければならないということはないのだから、病人のままでこの役割を拒絶すればよいのではある。ただ、病気と治療にだけ関心が向けられると、それ以外の部分に向けられてよい力が削がれると� �うことはある。
 ALSは、うまく工夫して身体の状態を保つことができれば、必ずしも苦痛をもたらすものではない。また死がすぐにもたらされるものでもない。そしてなおすというやり方では今のところは生きつづけることができず、対応のしようのないところがある。他方、筋肉が動かなくなって、できなくなることが出てくる。その限りでは障害者であるという性格の方が強い。だが、なおるまでの間、なおらないままで生きていくための手立てを十分に得られてこなかった。
 それを、病気としての把握、病人としての認識が強かったせいにしてしまうことはできない。本人たちも支援するた人たちも、生命・生活の維持のために必要なものが何かはわかっていたし、その必要性もずっと訴えてきた。ただ、どこまで腰を据� �てそれを言い張れたかである。また支援する側は、医療や看護以外の支援が必要なことがわかってはいても、どれだけそれを現実に動かせたか、有効に機能させることができたかである。さらに、その人たちの「職域」がときにはALSの人の生活を阻害するように働くこともある。このことを第10章でみる。

7 補:医療の社会(科)学について
[…]」(立岩[2004])

作成:立岩真也  UP:20030714(資料:20020718〜より分離) REV:1218,19,21 20040221,26 0408,12 0525, 20100410, 19, 0918


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